叔母のこと その2

叔母のこと」というエントリをアップした後、ふと、なんでこれがエントリが蔵出しなんだかさっぱり分からないよな、と思い出した。
ちょうど去年の今頃アップした「父、再び その1」というエントリの関連なんですね。これも「その1」で終わってるなぁ。
叔母のこと」は、「父、再び その2」というタイトルにしても良かったのかもしれない。

私が「男の人は怖い」だの「苦手だの」と泣いて訴えた時、父がふと思い出したように
「叔母に相談してみたら。」
と言い出して話してくれたことなんですね。
で、今回は続きです。「叔母のこと」というより「祖父のこと」になるんですけど。
一種の「ファミリー・シークレット」かもなぁ。

父方の祖父は、私が中学1年生の時に亡くなった。
私は初孫だったから、特にかわいがってもらったはずなのに記憶が薄い。
祖父は豪快な人で「新地の帝王」とあだ名されたこともあるらしい。
祖父が亡くなってから、祖父の友人に聞かされた話だから定かではない。
新地には行きつけの店が多数あり、新地を歩いていたらあちこちのお店から声がかかってまっすぐに歩けなかったという逸話もある。
これは父から聞いた話だけど、さもありなんと思う。
実際、新地を歩きながら、
「ここはおじいちゃんが行きつけだった店」
なんて指さしで教えられたことも何度かある。
でも、孫の私から見た祖父は、いつも穏やかな人であった。

祖父は二号さんを囲っていた。
いつからか分からないけど、何十年という長い期間。
最期は二号さんが祖父を看取ったので、祖父のお見舞いに行くたびに彼女とも顔を合わせていた。両親は彼女について
「入院してる間、身の回りの世話をしてもらうための付き添いさんを頼んだ」
みたいな説明をしてくれたと記憶しているけど、子どもなりになんとなく察していた。
さりげなく主張されるんですね。。(二号さんが、ですよ。)
私は小さい頃から大人の顔色をうかがうのが得意というか、うかがいながら日々過ごしていたので「あれ?」と思うことが多々あったのでした。
どこまで公だったのか知らないけれど、二号さんの存在は、本妻である祖母はもちろん、子どもである父や叔母、最低でも親戚一同の中では周知の事実であった。
二号さんを囲うことがまだ認められる時代だったのかもしれない。
ただ、本妻である祖母が亡くなった後も、二号さんから本妻に昇格することなく、祖父が亡くなるまで二号さんのままであった。

祖母は、船場商人の出身というプライドがあった人と聞いている。
祖父の会社で経理を勤め、私がまだ幼稚園の頃、仕事中に脳梗塞で倒れ、そのまま4時間後に亡くなってしまった。最期まで職業婦人だった。
母が新婚の頃、父のことで愚痴を言ったりすると、
「そんな時は、これで気分転換をしなさい。」
と、舶来物の入浴剤をくれたり、とにかく気配りの行き届いた人で、母は実の母よりも気に掛けてもらっていると感じられたんだそうな。
非常に尊敬できる人であったと、今でも母は言う。

そんな祖母も、自分の夫(私にとっての祖父)のことは、やはり愚痴のネタであったようで、父も叔母も、子どもの頃からずっと自分の母親から父親の愚痴を聞かされ続けてきたらしい。
父親に対して、どこかで引き裂かれる思いを抱きながら生きてきたのだと思う。
お正月も元日は自宅で過ごすけど、二日は別宅にお出かけになったらしく、
父が祖父の後をつけたという話とか、出張や旅行でもないのに1週間も帰宅しなかったことがあった時、(別宅に入り浸っていたかどうかは定かではない)1週間ぶりに帰宅した祖父に
「どちらさん?」
と叔母が言ったとか、今だから半分笑い話として話してくれるけど、当時は、父も叔母も必死だったのでは?と思う。

叔母もなんだかんだ言って、男性不信を募らせていたところはあったらしい。
父自身も、歪みがある。
あんな風にならないと思いながら、そうなってしまった、とでも言うのか。
二号さんを囲うようなことはしてないけれど(母曰く、父には二号さんを囲うような器量はないらしい)
まぁ、何もなかった訳ではない。
そして、私自身もどこか、男は信じられない、とか、結婚って虚しい、
といった思いを抱きながら成長してきた部分がある。
そういう私の心の中に巣くっている闇のような思いを知った父が妹(つまり、私にとって叔母)なら私の相談にのれるかも、と思ってあれやこれやと祖父にまつわる過去の話をしてくれたのでした。
で、最初の話につながる(戻る、かな?)と。

うーん、闇だな。闇。

1年前に書いてお蔵入りさせていたエントリを今回アップしてみようと思ったのは、ブログ移転に伴い、アクセス数が非常に少なく、検索エンジンからやってくる人が皆無で、99%以前からの読者さんばかりであるという現状に甘えていることもあるけれど、読み返しながら加筆修正してみて、今こそ、過去を整理して前に進んでいく時かなという気分でもあるからです。
結構、淡々と作業できた自分がいて、良かったな、と思った次第。
なにぶん、この手の話はシャレにならんことが多いからなぁ。。。