人間でいる、ということ

<Emmery Annexの過去ログ>

今、“からだ”の声を聞きなさい―あなたの中のスピリチュアルな友人
という本を読んでいるのですが、読み進みながらちょっと考え込むことがあります。

この手の本に書かれていることをそのまま信じて実践する必要ないのは当然だけど、なんて言うのでしょうか、あまりにもピュアになりすぎたらつまらない、そんな感じがするのです。

アメリカから日本に帰国した6年ほど前に、あちこちのニュー・エイジ系のセミナーを受けまくっていた母が
「精神世界を突き詰めていくのも良いけど、人間することにした」
と言い出したのです。
その頃は、まだ精神世界に関しては食わず嫌いな時でしたので、
「あっ、そう」程度の反応でしかありませんでした。

その頃、私には今で言う「スピリチュアル」な友人達と次々と出会ってる時でもありました。そのうちの1人が、やっぱり母と同じように
「人間のドロドロしたところって、捨てきれないのよね」
と言ったのです。
それを聞いた私の反応は「そんなもんかぁ」と、母の時と大差ないものでした。

あれから6年経って、紆余曲折あって、あんなに嫌っていた精神世界系の本もそれなりに好んで読むようになって、自分自身、内から外から変わっていって今回のような本を読んで違和感を覚えるのは、人間として生まれた以上、アセンションも良いけど、どこかでドロドロしたものは持っていたい、という気持ちがあるのに気付きました。
あまりにピュア過ぎると人生つまらないと言いますか。
個人的に今、感じていることであって、また変わるかもしれないですが、6年前に
「人間でありたい、人間をする」
と言った母や友人のセリフを思い出して、今更ながらそのセリフに同意する私です。

本については、なかなかおもしろいので、別の機会にまた紹介したいと思っています。

惑星の月12日 KIN2/呼吸を安定させる 白い月の風