癒しの痛み
<Emmery Annexの過去ログ>
自分の経験上、「癒し」が始まるときは「痛み」を伴うものだ、と思っていました。
癒しは快楽によって構成されているものではない、と。
「そんなに苦しんでいるのに、何が「癒し」なの?もっと楽な方法は無いの?」
と、これまで何度と無く問われましたが、神様は乗り越えられない試練は与えない、
と言いますか、なんとか対応し得る痛みではあるのです。
痛みが起こると、自分の成長に必要な何かが始まった、と私はいつも思います。
そんなことをつらつらと感じながら前のblogでも紹介した
“からだ”の声を聞きなさい―あなたの中のスピリチュアルな友人
に、まさしく私が感じていたことを見つけました。
心の成長を目指すことは、からだにできた傷を治すようなものです。
傷を治すには、そこに薬をつけなければなりませんが、そうすることでそれまでの痛みがいっそう増します。でも、この痛みは、傷が治るための痛みなのです。
しばらくすると、傷が癒合し始めるのが感じられるでしょう。
成長しようとして、自分を浄化しようとして、自分を発見しようとして内側に目を向けると、それとまったく同じことが起こります。痛みが<現実に>起こります。
でも、その痛みは一時的なものでしかありません。必ず良い結果がもたらされます。
もし痛みを感じたとしたら、むしろうまくいっている証拠だと考えて下さい。
でも、そのプロセスに身をゆだねるのをためらうかもしれません。
もしあなたが、自分には望む人間関係が得られない、欲しいと思っている愛も、健康も、必要としているお金も得られない、と言ったとしたら、私は次のように答えましょう。
「うまくいかないことがそんなにあるとして、では、あなたは心を成長させることによってさらに何かを失うでしょうか?」と。
さあ、抵抗するのはやめて、プロセスに身をゆだねましょう。あなたには得るべきものがあるし、新たに試みるべきことがあります。必ず成長できますし、痛みは必ずやわらぎます。
自分が変わろうとしている時に感じる痛みを恐れないでいよう、改めてそう思いました。
惑星の月13日 KIN3/直観をつなぎとめる 青い電気の夜