鏡にうつるもの

<Emmery Annexの過去ログ>

4月18日と4月19日に届いた「インナーメッセンジャー」からインスパイアされたことを少し。

あなたを非難する人が現れたらその言葉をよく聞いてあげなさい。
絶対にしてはならないとあなたに言っているまさにそのことを自分自身がしてしまうのではないかと心から恐れていることが理解できます。(4月18日)

そして同じようにあなたもまた誰かに何かをしてはならない、
と禁じたくなるのであれば自分自身がそれをしてしまうことを恐れているのだと理解できます。(4月19日)


私たちは何を見るにしても、「自分」というフィルターを通して見ている。
見たままを捉える、と言ったところで、見方、見え方そのものが、また、見たものを理解する時にフィルタリングされてしまっていると言える。

「あの人の・・・がキライ、気に入らない」
とか、何かイライラする要素を冷静につきつめていくと自分自身の姿が見えたりする。

相手の言動が気に障るとき、その言動が自分に対して悪意を持ってなされたことでなければ、気に障るのは相手が悪いのではなく、自分の捉え方の問題であることが大半である。
そして、気に障る理由は自分自身がその理由を持っているから。
自分に似た人を見ると、意識していようといまいとイライラしてしまうのだ。

そう、他者を見るということは、自分を見ると言うこと。
他者は常に自分の鏡。

誰かが私を非難する時、彼/彼女は私の中に自身の問題を見ている。
同じように、自分が誰かを非難したくなる時、私はその人の中に自分自身の問題を見出しているのだ。だから、誰かを非難したくなると、私はそっと自分に問いかけてみる。イライラするのは、彼/彼女の中に自分が持っている好きになれない部分が見えたからでしょう?と。

惑星の月18日 KIN8/芸術を型どる 黄色い銀河の星