心配と感謝
<Emmery Annexの過去ログ>
以前、新聞に掲載されていた話でとても印象的なものがありました。
学校のPTA行事などにお母さんが参加している間、子どもさんを預かるボランティアをしている人の話で、子どもを迎えにきたお母さんの言葉や態度が子どもとの関係に影響している、というものでした。
「お母さんがいなくても過ごすことができたね。えらいね、ありがとう。」
と言われた子どもは、お母さんとの再会を笑顔で迎え、褒められ感謝されることで、子どもは自信を持ち、親子共々信頼感を強める。
逆に、「ひとりぼっちにさせてごめんね」
と子どもに対して謝った場合、その子どもは泣いて淋しかったことを訴え、お母さんの罪悪感を更に強め、子ども自身の成長もない。
確か、こんな内容だったと思います。
妙に納得した記憶があります。
また、何かの本で
親が子どものことに関して先回り先回りして心配するのは、子どもの首を真綿で締め付けるようなものだ、
と書かれていたのも印象的でした。
子どもじゃなくてもそうですが、自分から他人に向ける意識は相手に伝わります。
心配すると、心配されるようにふるまってしまう。
感謝されると、自信を持てる。
自分の相手に対する意識で相手との人間関係を築いてしまっている部分が少なからずあると思います。それは、当人の意識的なものはなく無意識的なものです。
なぜこんなことを今、ここで書いているかというと、1週間前に長くつきあってきた彼氏と別れてしまいました。お互いにお互いを好きである、という気持ちに変わりはなかったのですが、彼氏彼女、という関係はいったん解消しよう、ということにしたのです。どちらか一方の意志ではなく、お互いからでてきた結論でした。
電話は1週間に1回あるかないか、実際に会うのは年に4回程度でも、お互い彼氏彼女がいる、という意識がどこかで心の拠り所となっていました。
彼氏は寂しがりなので、その心の拠り所を失うことで、これまで以上に寂しさを募らせてしまうのではないか、今での寂しさのあまりに呑むお酒の量がかなりのものなのに、更に飲酒量が増えるのではないか、と、嫌いになって別れた訳ではないので、とにかく彼氏のことが心配でした。
でも一方で、仮に心配した通りのことになったとしても、私のせいではなく、私が心配することではないことも分かっていたけれど、心配することを止めることができませんでした。
けれども、何かをきっかけに彼氏に対する心配を手放すことができました。
何がきっかけだったかは分かりません。
ただ、冒頭の記事を思い出し、心の中で何度も反芻しながら彼氏との関係を振り返った時、彼氏に対して感謝の気持ちが溢れていることに気付いたのです。ケンカなどでお互いを傷つけあったことも確かにありましたが、そのことでお互いの成長が促されました。また、男性恐怖症だった私に辛抱強くつきあってくれて、私に多くの癒しを与えてくれました。
彼氏が私から何を学び、何を得たかは本人から聞かなければ分かりませんが、私が与えられた分、同じように何かを得ていたら良いな、と思います。
こうして心から感謝の気持ちで満ち溢れた時、私の中から「心配」が消えました。私が心配している間は、彼氏が前に進もうとしていたとしても、それを阻害していたに違いありません。
お互いの生きる方向性が変わった為、一緒に歩めなくなり、お互いのお互いに対する気持ちに相反しながら関係を解消したことは辛いことでした。でも、お互いの関係の中で気づき、癒され、学ぶ時期が終わったのです。お互いが、新たに自分の心が望む道を歩む為に、2人の関係の解消は必要でした。
だからこそ、今回の別れも含め全てのことに心から感謝の気持ちが溢れます。
本当に心の底から、ありがとう、と。
そしてもう心配はしません。
スペクトルの月6日 KIN24/気づきを解き放つ 黄色いスペクトルの種