100匹目の猿

<Emmery Annexの過去ログ>

前のblogの引き続き「聖なる予言 」で印象に残ったことから。

第1の知恵について主人公の友人が説明する中に
「1969年代に、この偶然の一致に気づく人が急激に増え始めると、書いてあるの。この増加は次の世紀が始まる頃、こうした人々の数があるレベルに達するまで、続いてゆくんですって。つまり、臨界のレベルにね。」
というセリフがある。

これを読んだ時、ふと「100匹目の猿」の話を思い出しました。
みなさまは、この「100匹目の猿」の話をご存じかと思いますが、念のため、ざっとおさらい。

瀬戸内のある小島で1匹の猿が、砂で汚れた芋を海水で洗って食べることを覚えます。集団内で2匹目、3匹目とそれを覚え、広まっていき、100匹を越えた次の日には、群れ全体が芋を洗うようになり、さらには仲間の猿ではなく、交流もないはずの遠く対岸に住む猿にまでこの文化が伝播した。

「ある閾値を超えたら世界が変わる」と言われるものです。
ある知識や考えが100人(臨界点の値は何でも構わないのですが)に伝わったら、学んでいない残りの人たちにも自然と、しかも一気に広まると。

聖なる予言 」では、
「その臨界のレベルに達すると、文化全体が、この偶然の一致を真剣に考え始めるんですって」
とセリフが続きますが、「ある閾値を超えたら世界が変わる」といったことまでは書かれていません。

出処先を見つけることができないでいるのですが、去年だったか今年だったか、何かのきっかけで地球全体の意識レベルが上がり、これまで精神世界に関心がなく、そういった取り組みをしたことない人の意識も一緒に変わるんだ、という話を読みました。

それを聞いた時、単純な疑問として、どうして何も知らない人の意識までが自動的に変わるんだろう、と思いました。テレパシー的なこととすれば、一気に解決するのかもしれませんが、どこか腑に落ちません。

それと同じで、100匹目の猿の話も、行動が何らかの形で伝播するのは嘘じゃなかろうが、行動を知らない猿たちまでが、一気に新しい行動をとるようになるなんて、ちょっと飛躍しすぎじゃないか?とは思うのです。

「ある閾値を超えたら世界が変わる」というのも、とある知識や考えがある程度の人数にひろがれば、文化に影響を及ぼしていくことに間違いはなく、その結果、より速いスピードで新しい文化が広まることにつながると言えるでしょう。ただ、知らない人にまで一気に伝播する、というのは、猿同様、少々飛躍しすぎではないか、と思うのです。

今の時代、インターネットのおかげで情報の広まるスピードが以前と比較すると、とんでもなく速くなりました。そのおかげで、精神世界的なことも多く流れるようになって、わざわざ調べなくてもこういった情報にぶつかってしまうことも増えたのではないか、と思います。ここに私の別blogから何気なく来てしまった方にもそんな方がおられるかもしれません。
何気なくリンク先をクリックして辿り着いてしまって、なんだこれは?!
と思いながらも関心をもっていただけたら儲けもん、だと思っています。

最後になって何ですが、実は100匹の猿の話、ライアル・ワトソンが彼の代表作「生命潮流―来たるべきものの予感 」で書いた作り話なのだそうです。
「ある閾値を超えさえすれば世界が変わる」といった話を書きたかった訳ではなかったので、書きたい内容が作り話であることを知って変わりはしませんでしたが驚きました。
本当はタイトルを「100匹の猿」にするつもりはなかったのですが、ちょっと衝撃的でしたので、敢えてタイトルにつけてみました。
ここのblogで書く内容は、できうる限り情報源は何か確認してからご紹介するように心がけているのですが、こんなこともあるんだなぁ、
と、情報の検証が大切だと改めて実感した次第。

磁気の月6日 KIN109/流れを指揮する 赤い倍音の月