感覚

<Emmery Annexの過去ログ>

某所から届いたメールに

「疲れ果てて、しかし日常は繰り返され、やるべきことはたくさんある。そんな中にいると、自分が疲れていることを意識する・自覚する感覚が鈍くなってしまいがちだ。」

とあった。
限界を超えると、疲れている状態が当たり前になってしまい、
疲れていない状態を身体も心も忘れてしまい、感覚が鈍ってしまうのだ、と。

ここ最近の自分がまさにそうかもしれない。
こんな風に書くと、まるで私が一人で仕事を抱え込んでいるように見えるかもしれないですが、チーム全体が馬車馬のように働く、という状態が数ヶ月続いており、他の人たちは大丈夫かなぁ、と心配になります。忙しさの先が見えていたら良いのですが、いつまで続くか分からない為、鼻先にニンジンをぶら下げることもできず辛いところです。

やらないといけないことが山積みで、それをこなすためには、どこかの神経を切って何かを感じることをやめないとやりきれない、ということがないでしょうか。

逆に、悲しみなどで潰れそうな自分を支えるために自己防衛本能として何も感じることができないくらい忙殺される、というのもありです。

何かをやりきったり、乗り越えたりするために必要な機能とは言えますが、「限界」があります。限界に気づかないでいると、元々は自己防衛の機能だったはずが、自分の身体と心を蝕むものに変わってしまいます。そうならないための工夫がどこかで必要ですね。

お盆のあたりに休みをとることは絶望的なのですが、どこかできちんと夏休みをとることを目標に掲げてやっていきたいと思います。
そんな当たり前のことができない状態というのは良くないんだ、
と自戒の思いをこめて。

磁気の月15日 KIN118/秩序を引きつける 白い磁気の鏡