ひとり

<Emmery Annexの過去ログ>

ひさしぶりに「インナーメッセンジャー」から心に響いたものを。

たとえひとりで過ごしたとしても淋しいものではなく質の高い人生だということはありえるのです。(2005/10/15)

これを読んで、ふと
誰がひとりだと淋しいと決めつけたのだろう、
と、ずっと疑問だったことを思い出しました。
このメッセージが言いたいこととはズレてしまうのですが、いつだったかフェミニズムの本で「今の世の中は『つがえ』というプレッシャーに満ちていて、つがわなければ人と見なされない」といったようなことを読んだ記憶があります。

人間として生まれてきたなら、どこかの時点で誰かパートナーを得て、家族を作り子孫を作るのが本能で、それができない人はどこかに人間として欠損がある、と見なす文化が渦巻いているような気がします。

「おひとりさま」という言葉が広まったので、最近は女性ひとりで食事をしたりしても不自然ではなくなってきたような気がします。それでも、「ひとり」と知ると理由も聞かず「淋しいでしょ」と決めてかかる人も多くいます。
でも「おつれさま」がいたら絶対に淋しくない、と言えるでしょうか。
大勢の人に囲まれて社交的で華やかに見える人でも、その心の内はとても淋しい思いで一杯の人もいます。それならば、ひとりでいることを選択して、敢えてひとりでいる人の方が淋しくないのでは?と思うのです。

そう、だれがひとりだと淋しい、と思ってしまうように決めたのでしょう。
ひとりでいることを選択した人が、必ずしも強がっているとも思えないのです。
自分と真摯に向き合い続けることで質の高い豊かな人生を過ごしている可能性だって大いにあると思うのです。

電気の月27日 KIN186/機会を測る 白い自己存在の世界の橋渡し