陰と光

<Emmery Annexの過去ログ>

子どもの頃から、慰めの言葉をかけるのがとっても苦手です。
何となく嘘くさいと思ってしまうのです。
本当なら「かわいそうに」とか「残念だったね」などと声をかけてあげるのが親切なのかもしれないけれど、おざなりな慰めの言葉をかけることはできません。
冷たい人って思われてるかもしれないけれど、その人にとって体験する必要があるから、乗り越えることができるから、そこから何かを学ぶ必要があるから端から見たら辛そうな状況に身をおいているのだ、と思ってしまうのです。

ずっと悩みなくお気楽に生きていけるのが良いのでしょうけれど、何事も二極あるように、陰があるからこそ光を明るく感じるのです。病気をすることで健康のありがたさを知るように、陰を知ることで、光の明るさを改めて学ぶことができるのだと思うのです。
少し前のエントリで「苦しんで傷ついた人ほどキラキラ輝いています」
という越智啓子さんの言葉をご紹介しましたが、陰を体験することで光りの輝き方が多様さを増すのだと理解しています。

陰にいる間は傷ついたり、精神的にも辛いことが多いでしょう。穴があいたり、でこぼこになってしまうかもしれないけれどつるんとした平面的なものよりも味わいがでて、より愛おしい存在になっていくのだと思っています。

倍音の月12日 KIN277/癒しをつり合わせる 青い律動の手