お参り

<Emmery Annexの過去ログ>

神社へ初詣に行って、多くの人たちがお願い事をしている様子を見ながら秋に伊勢神宮に行った時に聞いた話を思い出していました。
本来、個人の願い事をするのではなく、自然(生活にまつわる森羅万象)の恵み(エネルギー)に感謝の祈りを捧げるものだったはず、と。

かく言う私も、氣功の先生にいろんなことを教えてもらうまでは、個人のお願い事をするものだと思ってました。
そんなことをツラツラと思いめぐらしていたら、神社仏閣を紹介しているムックに「本当にかなう、神だのみ」という記事で「自然の恵みに感謝して、自分の暮す土地に集まる多くの神々に祈りを捧げる」という自然崇拝が神道の始まりで、あらゆるものに神(魂)が宿る、という思想があり、その神を祀った場が神社であるという記載を見つけました。

つまり、神社は神さま(自然)に対して祈りを捧げる場。
もともと神道では、「個人の勝手な願い」は聞き届けられないとされていたけれど、江戸時代に個人のご利益をお願いすることが多くなってきたのだそうです。

神様にお願いをするときに一番大切なのは、神様の前でお願いごとはしないこと。
するのは挨拶と感謝のみ。というのも、神様は何も言わなくてもお見通しだから。
自分をゆだねてひたすら感謝する。
具体的なお願いごとを並べるのではなく、神様に対しての「畏敬」の念を持つということを大優先にしてほしい。なぜなら自分の欲、願望だけをお願いする一方通行的な祈願は、本来はご利益を頂けないので、自分自身をリセットし、その上で少しお力をお貸しください、という感覚でお願いすることが望ましい、
とありました。

「自然の恵みに感謝する」ことが本来の神道なら、神社で祈ることは、自然との対話とも言えるのかもしれないですね。ただ、そのことを私たちが忘れてしまっているだけで。

参考:日帰り名人―関西版 「かなう お詣り、神だのみ」

律動の月23日 KIN6/機会をつり合わせる 白い律動の世界の橋渡し