太陽の月

<Emmery Annexの過去ログ>

相変わらず月の始まりにしか書かないのですが、13の月の暦で9番目の月である「太陽の月」が始まりました。

今月の意味もなかなか深いです。
ここ最近、自分で課題だと思っていたことがそのままでてきて驚きました。
毎月のことですが、「マヤン・カレンダー〈2〉 」から響いたところを抜粋。

9の月から、13の月のウェイブスペルは「行為を変換する」流れに入ります。
1~4の月が個人の内面を形作る過程だとすれば、5~8の月は社会での自分を確立する過程。9~12の月は、「時間」の中で本当の自分を見いだしていく過程となります。

 たとえば、自分らしさといったものも、いったんそれがスタイルとして固定されてしまうと本人にとって機械的で退屈なものになってしまうように、8の月で形作られた「自分像」も、ずっとそのままでは硬直し形骸化していきます。9の月以降は、それまでの「自分像」を打破し、瞬間瞬間“自分”を新しく生み出していくためのステップとなります。

どんなにたくさんの可能性や理想があっても、瞬間という時間の中で自分ができることは常に一つです。そして、場面場面での行為は、それがたとえ満足のいくものではなかったとしても、自分そのものの姿です。大切なのは、その時々、状況の中でできることを精一杯やること。できることをただやることで、「こうありたい」という自分自身への期待からも、他者から見られる自分からも離れ、それ以上でもそれ以下でもない“自分”を誠実に見つめることができるのです。
この月の“行為”である「悟る」は、瞬間瞬間に実際に自分が「どのように生きているか」を知り、受け入れることと言えるでしょう。

少し前から、いろんな思いがどんなにたくさんあっても、瞬間という時間の中で自分ができることは常に一つしかない。それなら、その瞬間瞬間に今の自分ができることを淡々と積み重ねてみよう。その時々でできることを、ただひたすら重ねるうちに、まさに「それ以上でもそれ以下でもない」自分を見ることができるのではないか、と思っていました。

「それ以上でもそれ以下でもない」というのは、自分に過度の期待をしすぎてそれをクリアできない自分にがっかりしたり、自分を低く見過ぎてすぐにいじけてしまったり、というのがなく、フラットな中庸の状態で自分を見ることができるイメージでしょうか。

季節が春を迎えようとしている時期でもあるため、いろんな意味で岐路に立たされています。どの道を選択しても間違い、ということはないはずですが、今、この瞬間に自分ができることを一番大切にしながら道を選択していきたいと思っています。

太陽の月1日 KIN68/芸術をつなぎとめる 黄色い電気の星