Kuan-Yin

<Emmery Annexの過去ログ>
一つ前のエントリで姫乃宮亜美さんの本を紹介しましたが、読んでいてとっても個人的な過去を思い出しました。

私がスピリチュアルをまだまだ胡散臭いものと思っていた時期のこと。
アメリカ留学をしていて、その大学卒業で母が日本からやってきて、せっかく来たのだから旅行もしたいとセドナに行った時のことです。

プロフィールに載せている天使の絵をかいてもらった「エンジェル・リーディング」を受けている最中、サイキックのローレンスが
「観音(Kuan-Yin)が君を導くから、観音像を買って瞑想すると良いよ。」
と言ったのです。
観音といっても英語ではなので、何のことか分からず「???」となっていたら、ローレンスが説明してくれて「観音様」の話をしていることが分かったのです。

その話を一緒に旅行をした母のスピリチュアル仲間のおばさんにすると、
「導いてくれる人が分かったって、それは良かったわねぇ。なかなか分からないものなのよ。」
と言われ、そうか、私はラッキーなのか、と思っていたのです。
でも一体何が良かったのか今ひとつ分かっていませんでした。
アメリカにいてる時は観音様の像を置いたりしてましたが、その意味合いが全く分かっていませんでした。

観音様と縁があるらしい。という以上のことは何も思わず、(全く調べなかったあたりが当時の懐疑の程度をしのばせます)そのままになっていました。先日、女神のガイダンスオラクルカードを買った時に、観音様が女神であることを本当に今更ながら知ったくらいです。

そこで「薔薇色のスピリチュアルレッスン―幸せなオーラが甦る 」を読んでいて、姫乃宮さんに霊的現象がたくさん起こるようになった時、
「あなたには悪いことは何も起こりません。きっと、その力が素敵なものになりますから、この観音様を祀ってごらんなさい。」
と木彫りの観音様をもらい、その後しばらくは「天の愛」が観音様の姿で現われていたのが、その愛は、マリア様の姿とも重なるようになったというエピソードが紹介されています。

「あらゆる女神様はみな、ひとつの源泉から生まれている」
その源泉にあふれていたのは、包み、許し、温めていのちを育む、母性という名のぬくもりで、それを「聖なる母性」「聖母意識」と呼んでいます、と姫乃宮さんが書いています。

これを書きながら、ふと、これまでマリア様が気になって「私とマリア」って何なんだろう、と思っていたことが「聖母」でつながることに気付きました。5年以上前に言われた言葉が、今になってやっと私の中で意味を持ち始めました。

宇宙の月7日 KIN186/機会を測る 白い自己存在の世界の橋渡し