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ターニングポイント

<Emmery Annexの過去ログ>

この数日、私の中の意識が変わったという話を書いていたのですが、私の中で確かに何かが変わったと言えるのは7月に五葉山へ登り、月読命の石塔に祈りと祀りに行った時。

氣功の先生のセミナーということもあり、五葉山というところがどういう場所なのかも知らない、いや、調べることもなく、事務局の方に全ておまかせしていた旅でした。
1週間前に先生から
「強制ではありませんが、五葉山に登るにあたり、肉、魚を断って精進できる人は精進すること」
というメッセージが届き、私なりに精進をして当日を迎えました。
お天気が良ければ楽しいトレッキングだったと思いますが、当日は雨。登山経験がほとんどなく、しかも雨の用意はロクにしていませんでした。(どういうものか知らなかったのですね。)

台風が接近している中での登山で、普通なら気が触れたか?といった状況です。
それでも最初はまだ小降りで、時には、もう大丈夫なのでは?と思える瞬間もありましたが、登っていく途中でいくつか鳥居があり、その鳥居の前に着くと必ず雨風が強くなるのです。まるで、これ以上は立ち入るな、とばかりに。もはや聖域と呼ばれる場所には、安易な気持ちでは行けない時を迎えているのだと感じました。

雨の神、風の神、岩の神。。自然の神々にお詫びを唱えながら六根清浄を唱えながら、祝詞を唱えながら、歌いながらその人それぞれのスタイルで登っていきました。

途中から、これは登山じゃなくて水行か滝行ではないか?と思ったくらい全てがずぶ濡れで、水の中を歩いているような気持ちで歩を進めました。歩いている時は大丈夫なのですが、止まると寒くて身体がガタガタと震え気付いたら指も霜焼けみたいになっている部分があったりして、ビックリしました。山頂から月読命の石塔までは濃い霧が立ちこめていて、冗談抜きではぐれたら遭難してしまう。。ような状況でした。

そんな中で辿り着いた月読命の石塔。
石の塔の上に、いつ、誰が彫ったのか分からない「月」という文字を見て月読命の元に辿り着いたと感じました。塔の前で泣き出す人もいました。
雨は相変わらず激しく降っていて、立っていると寒くて歯もガチガチと鳴ってしまうような状態でしたが、そこで少しの間、皆で祈りました。

いつからか、場所を問わず、どこかで祈る時は、祈りの言葉を考えて唱えるのではなく、私の中から祈りの言葉が勝手に出てくるようになりました。
その出てくる言葉に私自身が驚いたりするくらいです。
石塔の前での祈りは、私たち人類の愚かさに対するお詫びだけでした。

下山の時も雨は降り続いており、行きは少しでも濡れないようにと思って歩いていたのですが、もう、今さらどうでも良いと、水の中をジャブジャブ歩きながら降りてきました。ずっと雨に打たれながらの登山と下山でしたので、かなり辛かったのですが、お天気が良くて楽しい登山であれば心に残らなかったであろう、天気が悪かったからこそ、良い体験ができたと悪天候にも感謝の気持ちがありました。
いろんな意味で浄化もされたのでは?とも感じたり。

石塔まで行って祈ってみて、もう、待ったなしの状況であることをひしひしと実感しました。そして、何か分からないけど、私の中にあるスイッチが切り替わったような感じもしました。

ちょうど五葉山に行って1ヶ月が経ちます。
戻ってきた直後は変わらない生活をしていましたが、前回の満月の晩から毎晩欠かさず祈る時間を持つようになりました。何か分からないけど、私の中で何かが変わった、その「何か」が、私に祈らせている、そんな風に感じます。とにかく、一日に一度、祈りの時間を持たないと落ち着かないのです。まだ2週間程度ですが、こんな状態が続くのは初めてです。
新月のお願い事も、自分のためにはやりませんでした。三次元の私としては、早く良い人を見つけて結婚したいとか、あるのですが、もはや自分のために祈る時ではないと、私の中の何かがキッパリと自分の願い事をはねのけてしまいます。

それ以外は、今のところ、特に変わったことはないように思います。
お肉も魚もありがたく食べていますし、物欲もそれなりに、といったところでしょうか。ただ、毎日祈る生活が、私を今後どう変えていくのか、それとも変えないのか、まるで他人事みたいですが楽しみに感じています。

磁気の月20日 KIN73/赤い銀河の空歩く者