Monologue

あれ、お見合いがどうだった、とかいう顛末を書いてくれるんじゃ?
と覚えていて思っている方がいるかもしれないけど、ちょっとネタに
しておれる事態ではないので、セクシャリティ放談が続きます。
多分、苦しさを紛らす為にわざとこうやって書き続けてるのだと思います。
とはいえ、前のエントリで思いっきりカミングアウトしてしまったので、
ちょっと呆けてしまいました。

自分の性的指向がどちらか分からない、ヘテロとホモの境界線上にいる感じ、
といっても、女の子同士で恋愛関係に陥ったこともないし、性的関係を持った
こともない。世の中にいる大多数の男の人は怖いけど、恋愛対象として男の人を
みてる。それならヘテロじゃない、と言われそうだけど何か違う。女の子として
女の子が好き。でも、レズビアンじゃない。
自分の性的指向がどちらに所属するかなんて、今はどうでもいいやと思ってます。
10代後半から20代全般にかけて、常にアイデンティティ・クライシスな状態を
経て、多くのいわゆる「訳のわからん」人たちに出会い、違和感くらい何さ、
と思って開き直れるようになった。

よくホモセクシュアルの人に対して、いつから同性を好きになったのですか?
何がキッカケですか?と愚問を投げかける人がいるけれど、同じ質問を
ノンケで普通だと思ってる自分に問いかけてみろよ、と思う。
いつから異性を好きになったのですか?何がキッカケですか?って。
初恋の話を聞こうとしているなら良いけど、愚問中の愚問ね。
外付けの理由がある人も中にはいるけれど、たいていの人は生まれついた時から
のものだから理由なんてない。

ただ、人々が出会いを求めて出かけていく場所が私にとって恐怖以外のなにもの
でもないのは今でもつらいけどね。盛り場、クラブ、お見合い、合コン、夜遊び。。
だからずっと、つきあいの悪い人でもある。
「どうして?」と問われて、「だって怖いんだもん。」なんて応えて、
「男の人と出会うことが怖い?!」と爆笑されたことも多々あり。
頑張って一緒に遊びに行って、やっぱり怖さのあまり泣いちゃったことも何度か。
学生時代、男性恐怖症の為に就職活動ができなかった、という過去もあるけれど、
付き合いが悪い以外、特に社会生活に支障をきたしてることはない、と思う。


それよりも、女性として生きることのしんどさの方が強かったです。
ベティ・フリーダンが「新しい女性の創造(The Feminine Mistique)」という
本の中で、女性が生きにくいと感じている漠然とした不安や不満に「名前のない
問題」と名づけ、ことばを造ることによって人々の意識の覚醒ができることを
示唆した。「はじめにロゴスありき」かな。漠然とした不安や不満でも、名前が
付くことで意識的になれる。
フェミニズムは私に語る言葉をたくさん与えてくれました。
私が幼い頃から感じてきた閉塞感や苛立ちの理由も。
何も知らないで流されて生きてきたら楽だったかもしれないけれど、
気づいてしまったらもう、引き下がれないんですね。

やりたくないお見合いを強要されたせいで、いろんな鬱憤が出てしまいました。
かなり怠惰な内容になってきたので、次あたりで一度しめようかと思います。