恩師の慰労会

高校時代にお世話になった先生が退官された為、先生の慰労会があり、同窓会には行けないと思ったけど、先生にはお礼を言わなくては!と出かけてきました。
母校は自転車で通える範囲にあり、慰労会の会場がまた、徒歩圏だったので、参加し続けるのに辛い環境なら顔だして先生に挨拶したら、すぐに帰ったらいいや、と思いながら行ってきました。

仲良しだった友人たちは、見事に全滅だったのですが、
一学年100人で、授業によっては生徒をシャッフルさせてたので100人1クラスみたいなものでした。
だから、知らない人、というのはいないハズで、行ったら行ったで、懐かしい顔ぶれでした。

先生には、留学の時にお世話になったのです。
といっても、挨拶もせずに留学し、大学編入することに決めてから実際に編入するまで日本に戻らなかったため、母が代りに母校で先生に会って成績表や推薦状をもらってきてくれたのです。
先生は、その時、「Emmeryなら大丈夫ですよ」とひとことだけ言ってささっと書類を作成して母にもたせてくれたらしい。なのに、私は不義理なものでその後、お礼をしにいったのかしら。。な状態でした。だから、何が何でも先生にお礼を伝えにいかなくては!だったのです。

先生は本当にお変わりなく、お元気そうで何よりでした。
学校の先生は、常に若い人たちと接しているから、若いままの人が多いですよね。
私たちの学年は、学校始まって以来の(といっても5年目だったけど)やんちゃな学年と言われていたのですが、先生が最後に担任して卒業させた学年は、私たちとは比較にならないくらいやんちゃだったのだとか。

私の学年は、やんちゃではあったけど、美女が大勢いる学年でもあり、そもそもが進学校のため、天から二物を与えられた人たちが多く、元から容姿に自信がなく、成績もたいしたことない私にはコンプレックスの元凶にもなりました。
(良い大学に合格したから、成績も良かったのでは?と言われそうですが、実はそうでもなく、記念受験させてくれ、とお願いして運も実力のうちで、まぐれ合格したんですね。。。先生にも「Emmeryの合格は場外ホームラン」って言われたもんだ)

男性恐怖症で、女子校に逃げ込んだつもりだったけど、オンナばっかりってのも辛い、ということを学んだ場でもありました。
別学だったから同じ敷地内に男子がいたんで、女子校、とも言い難い環境でしたが。
男子とは関わり合いになることがなかったのと、容姿、成績、運動神経とどれをとっても特に秀でたものがなくて埋もれていたこともあり、見事に「アウトオブ眼中」にされておりました。だから、という訳じゃないけど男子部と合同の同窓会は出かける気にもならん。

そんな、コンプレックスが刺激されるような場所に出かけていって、みんなが当時と変わらないまま、母になっている姿を見てまた圧倒されてしまいました。
32歳にもなれば、結婚して子どもがいておかしくないものね。
いわゆる「負け犬」やってたのは私ともう一人だけ。
もちろん、出席しなかった友人たちには「負け犬」が他にもいますがね。

「ずっとバリバリ会社で働いてたら、男ってこんな程度、男がいなくても自分でやっていけるって、悟ったんやろ」
と先生は言ったけど、そこまでの境地に至ってません。

かつての学友たちも、最初は違和感があったけど、一緒にごはんを食べながら話をしているうちに、不思議なことに高校生の時と同じ顔になっていきました。
終わってから、誰かが学校に行ってみよう、と言いだし、全員で久しぶりに母校に向かいました。
私は犬の散歩で母校の見えるところを通ることが多いので学校そのものは久しぶりでもなんでもないけど、中にはいるのは、いつぶりか分からなかった。
土曜だったので、先生方もいらっしゃって、懐かしいお顔にたくさん出会いました。
先生は、本当に変わらないですね。
当時はお行儀悪かった私たちも、今となっては
「先生、お変わりありませんか?」
などと、丁寧な話し言葉を使えるようになっており(当然か)先生方は目を細めておられました。

ROLLYのライブにいって、気持ちが高校生に戻っていたところに母校に行ったものですから、ノスタルジーが更に更に強まった。
でも、過去は過去。今は今、かな。

いろんなことが相容れなかったけど、みんなも私も大人になったことでまた良いように変容するかな、と思った。
いろいろと複雑ではあるんだけど。