過去と仲直り

私生活で、過去のいろんなしがらみを解放して前に進んでいく時期らしい、
と感じている昨今、いろんな事件(?)が起こっている。

とある場で、私がハーモニカを習っているという話になって母がこんなことを言い出した。

高校を選ぶ時、音楽をやりたいと言ったけど、反対してやめさせた。
大学に入って、ハーモニカのサークルに入ると言い出した時は、
「なんでハーモニカ?」と思ったけれど、(コンサートを)見に行って
ハーモニカ以外にもいろんな楽器を演奏しているのを見聞きして、
音楽の道をやめさせたけど、音楽をやりたいという思いが、
違う方法をとらせたんやなぁと思った。
大学を卒業してからしばらく音楽から遠ざかっていたけれど、
この数年、またハーモニカを習い始めて、大学時代のサークルの
OBバンドに参加したり、発表会に出たり、趣味として音楽を
やるようになって、やっぱり子どもの頃に音楽の道に進みたいと
言っていたのが、形を変えて実現させているみたい。

そんな母の話を聞いて、高校を選ぶとき、音楽科に進みたいと考えていたことをすっかり忘れていたことに気づいた。
母の出身大学付属の音楽教室に3歳から通っていたけれど、とある理由で実技試験が免除されていた上、非常に成績が悪くて大人になった今、当時を振り返って、音楽科に進みたいなんて無謀すぎって思う。母に
「音楽の世界というのは常に競争社会。周りはみんなライバルで、いつも競い合って、一番じゃないとアカン。二番目以下はアカンのや。アンタがそんな世界でやっていけるとは思えない。」
みたいなことを言われた記憶がある。
実技試験を免除されていたから、のほほんと過ごしていたけれど、常に競争している他の子たちのピリピリは、よくよく知っていた。
音楽科に進むことをあきらめる時
「ホンマに音楽やりたいと思ったら、大学で音楽に行くことを目指す。」
なんて捨てセリフを吐いた記憶もある。そこで
「高校で音楽科に行かれへん子が、大学で音楽なんて、さらに無理。」
と追い打ちをかけるように母に言われたのだった。

母の言葉で、そんな過去を思い出した。
「おんがく」と書いて「音楽」じゃなく、
「音学」だったり「音が苦」だった子ども時代。
ピアノも3歳から習っていたけれど、小学校高学年にまでピアノは私から友達と遊ぶ時間を奪うし、先生は厳しい、上手に弾けないと母なすごくすごく怖いし、で、大嫌いだった。(むっちゃくっちゃスパルタだったのだ。。)

今の場所に引っ越してきて、転入したクラスにピアノが得意な男の子がいて、その子のことを好きになってピアノも好きになった。かなーり単純な理由で大嫌いなピアノは好きなものになった一年後、その男の子は転校していった。
ピアノは好きになったけど、お仕着せというか、与えられるものだけを練習し、弾いているだけだった私の次の転機は、千里さん、こと、大江千里。中学時代に生まれて初めてポップスのコンサートに、それも一人で行ったのが、大江千里で、そこから、自分の弾きたい!を弾く楽しみを知った。

多分、そんな中で音楽科に進みたいと考えるようになったんだと思う。
詳しいことは忘れちゃったけど。
でも、音楽科に進む道をあきらめ、音楽に対して優越感と劣等感の両方を抱え、いろんな場で葛藤を繰り返してきた。
自信のある私と自信のない私が、いつも背中合わせで、その場その場でくるりくるりと向きを変えて、そのたびに苦しいことこの上なし、だった。
それでも音楽がないと、音楽やってないと私は私じゃない、と思って生きてきたけど、アメリカに渡った時、私は音楽を意図的に捨てた。
そこから10年ほど、音楽は聴けども演奏する側にはならず過ごしてきてふと、もう一度音楽をやりたいと思うようになったのが、4年ほど前。
その時も、いろんなことがあって、結果的にクロマチック・ハーモニカを習うことにして、この3年は自分を取り戻していく過程だった気がする。
そして、子ども時代の呪縛に、今もなお、捕らわれ続けている自分がいて、本当は自由なのに、そこから逃れるだけの力がついたのに、自分で自分を囚われの身のままにしていたことに、気づいた。
「三つ子の魂百まで」で、ふっとまた戻ってしまうことは、これからも何度も何度もあるだろうけど、その時は、思いのまま進めばええねんで、遮るものはもう何もない、と、私の中にいる「内なる子ども」に言いたい。