三年の月日

ハーモニカはハーモニカでも、クロマチック・ハーモニカの方のお話。

3月最初のレッスンに出かけたところ、先生から
今月いっぱいで教室を終わりにするというお話が。
30歳になるし、方向転換をしてみようと思われたのだとか。
私自身も30歳の時に「このままではイカン」と、転職を決意し、
今の会社に転職をした経緯があるので30歳の時の焦りみたいなのは
よく分かるので、そっかぁ。。と聞いていた。

5月末のコンサートが終わるまで、ハモソの練習とクロマチック・ハーモニカの
レッスンを両立させるのはキツいかもしれないから、2ヶ月ほどレッスンを
休もうかどうしようかと思っていたところだったので、タイミングとしても
悪くないと言ったら変だけど、そういう流れなんだと思った。


習い始めてちょうど丸三年で、4月になれば4年目。
決して良い生徒じゃなかったなぁ、なんて。
4年前の冬だったかな、また楽器をやりたくなって、
最初はサックスでも習おうかと教室を探していたのでした。
そこに大学時代のハモソの後輩から届いた年賀状に
「クロマチックに興味が出てきました。」と
書かれているのを見て、今さらハーモニカなんて、
と、その時は思ったのでした。その後、件の後輩から
トゥーツ・シールマンスのライブに行かないんですか?」
というメールが来て、その時もまた、
「なんで今さらシールマンスなの?」
なんて思って「行かない」って返事をしたんであった。
で、サックス教室を探していたのに、なぜか後輩から
ハーモニカ、ハーモニカと言われるのがどこかで引っかかっていて
そのうちにふと、今、私がやらなきゃいけないのは、
クロマチック・ハーモニカと仲直りすることなんじゃないか?
と思い至るようになったのでした。
(なんで「仲直り」なのかってのは、ここでは割愛。)
そこから今度はクロマチック・ハーモニカの教室を探し始めて、
徳永先生しかいないのかと思っていたら、お弟子さんが何人も
教室を始めているのを知って、その中の一人がとっても近所で
教えていることが分かって通うようになったのです。

学生時代、クロマチック・ハーモニカに関しては同じ学年の中で技術面、表現面
共に自分が一番下手だというコンプレックスがとっても強くて、本当に自信が
なかったのですけど、習い始めて1年過ぎた辺りで、技術力も表現力も明らかに
学生時代を追い越した!という実感が出てきて、それからは楽しくなりましたね。
30歳を過ぎても若いときの自分を追い越すことができるというのは、自分への
自信にもつながりましたし。

これからもレッスンを続けていきたいなら、徳永先生を紹介していただけるとの
ことなので、コンサートが終わって落ち着いたら、ぜひ紹介していただこうかと
思っています。決して良い生徒ではなかったけど、ここまできたからには、
もう少し欲を出して、もっと上を目指してみたい。
・・その前に、ちゃんと練習しろよー、と、自分にツッコミを入れてみたりなんかして。

音楽というのは聴くだけじゃなくて自分で演奏するものとして小さい頃から
ずっと育ってきて、楽器演奏は自分の心の声を表現するもの、でもあった。
音楽をやらなければ、私の声の一部が失われるような、心の表現ができなくなる
ような、そんな感じではあったのだけど、大学を卒業してアメリカに渡った時、
私はその音楽を捨ててしまった。アメリカ時代にそんな話を知り合いにしたら
その人も大学時代は交響楽団でチェロを弾いておられたそうで、
「私もアメリカに来て失ったものは、『音楽』かな。」
と同じようなことを言ってたのを今でもよく覚えてる。

クロマチック・ハーモニカのレッスンを始めてからの3年間は、私が一度捨て、
失ったものを、もう一度自分に取り戻していった3年間でもあった。
嬉しいこと、哀しいこと、苛立ちだの怒りだの、自分の感情を全て
音楽に昇華してきた頃にまでは戻れていないけれど、それでもこうして今、
ハモソのOBバンドに参加して曲を書いている自分を見ると、気持ちの上では
本当に復活したなと思える。ありがたいことです。
音楽面という意味では、まだまだリハビリが続いてますけどね。

クロマチック・ハーモニカの話をいっぱい書こうと思ってたけど、
なんだかまた、とりとめのない話になってしまいました。
(あ、いつものことか?)