近しい人たちと

朝からお盆の法事で母方の親戚宅へ。
車だと近所なんだけど、起き抜けで、ただ着替えただけという
とんでもない状況で出かける。
ま、法事と言っても大きく集まる場じゃないし、なんて。
そうすると、イトコでも結婚した弟の方は奥さん連れで
あ、そうか、そうよね、
なんて思う。やっぱり気ぃ抜いて行ったらアカンな。
法事の後、お茶とお菓子でしばし歓談。
イトコたちと話していると、ビッグ・ファミリーな感じがして
こういうのも良いなと思う。
叔父宅のチビワンコとも久しぶりに対面し、
ちっこいワンコはかわいいねぇ、と、目尻を下げる。
できたワンコなので、一人一人に「ご挨拶」とばかりに
愛想をふりまいて飛びついてたのがお茶目だった。
小さいワンコだから許される行為やね。
これがうちのお転婆ワンコだったら図体がデカイから大変。
ワンコ自身はじゃれてるつもりでも、押し倒されるのかと。。みたいな。

午後は、妹夫婦がやってきた。
妹のダンナのおばあさんが亡くなって今年は初盆なので
お盆の時期に来ることができないから前倒しでお参りにやってきたのだ。

妹の友達は、たいてい結婚して子どもがいて、その友人たちの話を
聞いていると、人それぞれ、世代それぞれなんやなーっって思う。
すっかり「夫は元気で留守が良い」になってるところとか、
深夜に帰宅して早朝にはまた出社し、休みも月に3~4日、みたいな過激な
働きをしていた夫だけど子どもができた途端、
「この生活では子育てに参加できない」
と、まっとうな時間に帰ることができて、週休2日の仕事に転職して、
せっせと子育てに参加してるところとか、
親にしても、自分に趣味がある人は、子どもを預けたくても
「私、その日はダメ」とか「孫つれてこないで」なんて
アッサリと言っちゃう人が多いみたいで、へぇ、みたいな。

なんだかんだ言っても、自分の育てられ方というのはどこか、
自分の子どもに対しても出てしまうものらしい。
私は結婚もしてないし子どももいないけど、子どもができたら
きっと世間一般から見たら厳しい親になるんだろうなって思う。
妹と子どもの頃の話をしていて、私たちは本当に厳しく厳しく
育てられたよねって再確認してしまった。
母は自分の理想通りに子どもを育てたかったから
子どもの頃から本物志向で、おもちゃも良いものを少しだけ与える、
みたいな感じで、バービー人形も日本のバービーじゃなくて
アメリカの本物のバービーで、可愛くなかったよね、なんて。
バービー人形の顔は、今でもすっごくよく覚えてる。
子ども心に、日本のバービーじゃなかったのがショックだったのかな。
とにかく皆が持っているようなオモチャってのは与えられなかったから
子どもの頃に遊んだオモチャの話になると共感することができない
なんて妹が言ってた。

子どもの頃は、とにかく厳しく育てられて、ピアノのお稽古があるから
帰宅時間もきっちり決められて、友達となかなか遊べなくて淋しい思いを
したこととか、ぼんやりと思い出した。
今となっては、そうやって厳しく本物志向で育てられたからこそのギフトを
たくさん享受していると思えるのだけど、自分に子どもができた暁には
もう少しお子さんはお子さんらしく、思いっきり友達と外遊びなんかを
してもらいたいと、自分ができなかったことを思ったりする訳なんだけど、
実際に子どもができたら、どうなるんでしょうね。

なんて、ちょっと未来に思いを馳せたのでした。