街の瘴気

内田先生がブログ日記
先日、六本木ヒルズにいったとき、あまりの「瘴気」に頭がくらくらした。
と書いておられた。

この「先日」はいつのことか分からないけど、六本木ヒルズに行ったら
「瘴気」に満ちた場所だったと以前も書いておられたのを記憶している。
内田先生のように武道に通じているお方には、「瘴気」がある場所は
耐え難いのかもしれない。

夏に市民プールのプールサイドで中島らも(実は私、かなりの中島らも好き)を読んでいたら、
アジアのどこかを旅行している時、街に「瘴気」が感じられるのが良い、
「瘴気」がない街は清潔すぎてつまらない、といった旨のことを書いていて、
私はいたく感心したのだった。

内田先生と中島らもをつなぐことは容易でないけれど、感心したのは、
二人とも街を歩いていて、その場の「瘴気」を感じ、テキストにしたこと。
「瘴気」の有無を身体で感じることができる身体感覚の持ち主という
共通点がある、とも言い換えられるか。
1人は「君子危うきに近寄らず」で、もう1人は「毒食わば皿まで」か。
そこは人間性の違いなんだろう。
中島らもが生きていたら、六本木ヒルズを見て何と言っただろう。
彼が六本木ヒルズに関心を持つとは到底思えないけど、内田先生いわくの
「瘴気」を感じ取るのだろうか。

内田先生は、テキスト上で常々、身体感覚について書いて
今の人たちはこの「身体」感覚が鈍い人が多いと言っておられる。
ヘッドフォンをつけて大音量の音楽を聴きながら外を歩くなんて、
自らの手で身体感覚をシャットアウトしているようなものだと。

海外生活をした経験から言うと、五感を働かせていたら街の「瘴気」は
キャッチできる。治安があんまり良くない地域に住んでいたので、
危険かどうかの判断は身体でキャッチできるようになった。
細い道を1本隔てた向こう側や観光地を歩いている最中の見晴らしの良い
なんてことない場所・・
見た目、何の変哲もない場所でも「瘴気」を感じて逃げるように立ち去ると
後々、治安が悪い危険地域だったということを知ることが多かった。
危なそうな人がいなくても、周りの建物がそれまでの場所と変わりなくても、
何か「あれ?」と感じる時は、間違いなく「瘴気」を感じていたのだと思う。
だから、内田先生の言いたいことはなんとなく分かるような気がする。

余談だけど、私も六本木ヒルズには過去の思い出から派生する「瘴気」を感じる。

生まれは東京だけど、生まれてすぐに大阪に来たから東京には疎い私が、ある時
東京駅から六本木まで東京を知る人には想像を絶するような大旅行をした末に
六本木ヒルズに着いた。

人を待たせているから急いで駆けつけたのに、到着して森タワーを見上げた瞬間、
何とも言葉にし難く、しかも耐え難い何かを感じ、待ち人がいるにも関わらず、
くるりと後ろを向いてその場から逃げ去りたい衝動にかられたのだった。
六本木ヒルズにいる間とにかく落ち着かなくて、早くこの場から離れたい、の
一点しかなく、六本木ヒルズから離れた時、肩に覆い被さっていた
重いナニかが消えてなくなったような身軽さを感じた。

内田先生が六本木ヒルズで感じた「瘴気」とはまた違うだろうけど、
私も六本木ヒルズに行くと、あまりの「瘴気」に頭がくらくらするあたりは
先生と同じなんである。
自慢するようなことではないのは百も承知だが。