勝手に内田的恋愛論その5

「先生はえらい」を元に、まさに好き勝手書いてる「勝手に内田的恋愛論」も
なんと5回目に突入してしまいました。
今回が一番書きたかったことかもしれません。
5回目にして、やっとここまでたどり着いたって感じがなきにしもあらず。

本日は、「あなたを知りたい」とは。

コミュニケーションとは、何かを何かを取り替えること
何かと何かを取り替えたいという欲望がもっとも亢進するのは、
そこで取り替えられつつあるものの意味や価値がよくわからないときなのです。

「わかる」とそれ以上コミュニケーションを続ける意欲が失われてしまいます。


例えば、友だちに何か話をしていて、「もう、わかったよ」とか「だから、
その話は聞いたって。」と言われたら、話し続けることはできないですよね。
「分かったからそれ以上しゃべるな、黙れ」というメッセージですもの。
相手が何を言ってるのか分からないからこそ、もっと知りたいという欲求が
かきたてられるのですね。だから、分かってしまうとそれでおしまい。

私たちが会話においていちばんうれしく感じるのは「もっと話を聞かせて。
あなたのことが知りたいから」という促しです。でも、これって要するに、
「あなたが何を言っているのか、まだよくわからない」ということでしょう?

恋人に向かって「キミのことをもっと理解したい」というのは愛の始まりを告げ
ることばですけれど、「あなたって人が、よーくわかったわ」というのは
たいてい別れの時に言うことばです。


何が一番ウケたって、これです。
ひとたび人を好きになると、相手のことを知りたくて知りたくてたまらなくなる。
ただ、相手のことが分からない時はドキドキしているけれど、分かってしまうと
予定調和でつまらなくなって、それ以上の進展がなくなることってありがちだと
思うのです。もちろん、相手を把握しきっていることに良さを感じる人もいるで
しょうけど、それは安心感であってドキドキではありません。先が読めちゃうと、
トキメキはなくなりますよね。私自身、前回(といっても、もう2年前の話になるけど)が
「あなたって人が、よーくわかったわ」
で終わったので思いっきり納得しましたです。
この人のこと、よーく分かったわ、と、思った時は、おしまいの合図です。

コミュニケーションを駆動しているのは「理解し合いたい」という欲望だけど、
対話は理解に達すると終わってしまう。だから「理解し合いたいけれど、理解に
達するのはできるだけ先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いて
いるのです。

理解を望みながら、理解に達することができないという宙づり状態をできるだけ
延長すること
、それを私たちは望んでいるのです。


ここを読んで、ポルノグラフィティの「サウダージ」にある
時を重ねるごとに、ひとつずつあなたを知っていって
さらに時を重ねて、ひとつずつわからなくなって
愛が消えていくのを、夕日に例えてみたりして
そこに確かに残るサウダージ

という歌詞を思い起こしました。
きっと、理解を望みながら、理解に達することができないという宙づり状態を
楽しんでいたつもりが、宙づり状態のまま何かの理由で関係が終わってしまった。
あなたのことを完全に知り得なかったから、あなたに思いが残せているのですね。
あなたのことをよーく分かってしまったら思いなんて残りません。
コミュニケーションのゴールに達してしまったのですから。
歌の内容そのものも変わってしまいますね。

じゃ、コミュニケーションってお互いが分かり合うためのものじゃなければ
何なの?という問いに対して、内田先生は
コミュニケーションの目的は、メッセージの性格じゃ授受ではなくて、
メッセージをやりとりすることそれ自体ではないのでしょうか?

と書いておられます。 

なんだか分かるような、分からないような、でしょ。
私個人としては、ニヤリ、な、部分ですね。