読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

お正月の思い出

我が家が昔ながら?の豪勢なお正月をやっているのは訳がある。

父の父(私にとって祖父)が大変な正月好きだったのである。
祖父は私が中学一年生の冬に亡くなったのだけど、私の記憶にある祖父の姿は
お正月にまつわるものが多い。

大晦日の晩におじいちゃんの家に行くと、紅白が流れるなか
お膳にのせたお重を、もう待ちきれないって感じで開けて
かまぼこを食べながらお酒を呑んでいる姿とか、
朝、起き出してくると台所でお雑煮用のおだしをとっている姿とか。。

とにかくお正月が大好きな人だったらしい。
父や叔母が若いとき、深夜まで呑んでどんちゃん騒ぎをしていても
日の出前にたたき起こされ、初日の出を拝んでお正月の挨拶をして
「今年もエエお正月さんでした。」
と言っていたらしい。
私が生まれた頃は、もう歳だったからそんなことはしてなかったけどね。

お節を食べながら、「今年の・・は、阪神の地下でやっと見つけて・・」など
お正月においしいものを食べよう、食べさせようと思って梅田の百貨店や
今は無くなったけど、北浜の三越天満橋松坂屋を巡って買い集めてきた話。

祖父はお正月過ぎに亡くなったのだけど、最後のお正月は病院でした。
お正月には自宅に戻れることをひたすら楽しみにして、それを励みに
日々を過ごしていたらしい。
祖父が亡くなった後、毎日×印をつけていたカレンダーが出てきたのだけど、
父がお正月を病院で過ごさないといけないと告げた日を境に×印をつけることを
やめてしまったようで、白いままになっていたらしい。
お正月大好きなおじいちゃんだったから、楽しみにしていたお正月を
病院で過ごすことになって楽しみを失って死期が早まったんじゃ?と
みんな思ったのだけど、亡くなった後では仕方のないことだった。
同じ亡くなるなら、最後に自宅で大好きなお正月を過ごしてから
亡くなってほしかったなぁって、思い出すたび今でも切なくなる思い出。

カレンダーの話を聞いてから、子ども心におじいちゃんが好きだったお正月の
過ごし方を継承しようって心に決めたのでした。
お正月に海外旅行やスキー、温泉とか素敵だけど、私は家にいてお正月準備から
手伝って、おじいちゃんが好きだったお正月を続けていこう、他の孫たちが
どうであれ、私が守ろうって。

おじいちゃんが亡くなった後は、自宅でお正月のお祝いをするようになり、
最初は試行錯誤だったのですけど、父方と母方のお正月の慣習が融合され、
今のような豪華なものになっていきました。
お仏壇のおいてある部屋でお祝いをしてますので、おじいちゃんも
一緒に楽しんでくれているかな、と。

そんな訳で、年末のお正月準備を始めるとお正月が終わるまで
特に31日と1日は家のことにかかりっきりで、お誘いを受けても
終日遊びに出かけるということはしないです。
家族とお正月を過ごさなかったのは、アメリカで生活をしていた最後の年のみ。
ルームメイトが帰国して一人だったから、何となく手持ちぶさたで、
一人でお節を作って日本人の友だちとお祝いしましたね。

今年もつつがなく三が日が過ぎて、ちょっと安心しています。
お正月はごちそうがあって良いのですけど、お客さんを迎えたりして
やっぱり大仕事で、終わったらどっと疲れます。
毎年「正月休みの休みが欲しい」などとたわけたことを言っていたので、
今年はお正月の後も会社が始まるまで休みが長いので嬉しいです。
ほんっと年末年始の休みは休んでる余裕があんまりないですからね。
明日はお正月用品の片付けをして、日常に戻りますかね。