過去の残骸

部屋の整理をしていたら、スルッと関西のカードが大量に出てきたので、
そういえばきれいな絵柄のものだけ残してた時期があったなぁ、
なんて眺めた後、捨てようとしたところ、友人がオークションのネタにしていた
のを思い出して、彼女に譲ることにした。

友人にカードを渡した時、
「これって前の彼氏とつきあってた時に使ったやつ?」
と尋ねられて、そうだっけ?と思いながら裏の乗車記録を見たら
指摘されてやっと気づいたのだけど、まさにその通りだった。

梅田から大宮だったり大阪から二条だったり垂水だったり、
途中まで定期を持っているとはいえ、大阪駅から目的地まで
往復1000円以上、時間も4時間以上かけて毎週のように
通っていたんだった。
振り返ってみて、よくやったなぁって思う。
若かった、と、言えるのかもしれない。
親に反対されていたから、意地を張っていた、とも言える。
冷静になって考えたら「そんな男、とっとと別れとけよ」って思えるのだけど、
意地を張っていた都合、簡単に別れることができなかったのだった。
数え切れない修羅を思い出すと、よく耐えたなぁって不思議になる。

京都から垂水、そして日吉。
距離だけがどんどん広がって、さすがの私も疲れ果てたのだった。
永遠に若いまま、結婚や家族を作ることを考えないで済むのなら、
仲良くやっていけたのかもしれない。
でも、現実にはそういう訳にはいかない。
将来を考えた時、お互いの希望は平行線のまま寄り添うことがなかった。
嫌いになった訳ではないけど、このまま関係を続けていても、
お互いのためにならないと別れることにしたんだった。
親に反対された理由は、今さら書く気にもなれないけど、
後々、あの人は自分の言動が子どもであったことを悔やんでいた。
そして、なんとか私の両親と関係を取り持ってほしいと頼んできたのだけど、
他人任せで自分から行動を起こすことがなかった。
そんな状態だったから、私も親の反対をなんとかしようという行動をとる
情熱もかきたてられなかった。
それどころか、本人は浮気じゃないと言ったけど、寂しいからと一般的に浮気と
呼ばれる行為を繰り返した挙げ句、
「僕のそばにいないEmmeryが悪い」
と言われたものだ。
「どこでもドア」でもなければ大阪から東京にはすぐ行けないよ。。

遠距離で頻繁に会えなかったから、別れた実感が伴わなかったのもあるけれど、
別れた後、寂しいなんて思うことはなかった。
逆に安らぎを感じていた。
それも、重い荷物をおろしたときのような安堵感。
遠くにいても、とにかく手のかかる人だったのでね。

淋しいオンナと言われるかもしれないけど、しばらく男はいらない。
面倒くさい男は懲りごり。
本気でそう思ってた。
近くにいなかったから「おひとりさま」も慣れっこだったし。
♪もう恋なんてしない
で、気持ちが止まってた。

気がつけば、別れてから1年以上過ぎてた。
もう恋なんてしない、なんて思いがなくなってることに気づいた。
それどころか・・・、かな?
今は胸を張って
♪もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対
と歌うことができる。

とりあえず、過去の残骸を見ながら感傷の思いに浸ることもなく
淡々と過去の事実を眺め、認めるに留まったのだった。
あんなに長くつきあったのに、冷たいくらい思い出すこともない人。
あの時、別れなければ・・と歯がみするくらいイイ男になっていたら
良いなと思う。あの人が心の寂しさを忘れてしまえるような存在が
できていたら良いなと、本気で思う。