ハガキ職人だった頃

今となっては、きっかけさえ覚えていない。
ヤンタンの常連さんたちは、宛先のスタンプまで作って毎日ハガキを書いているというエピソードをどこかで読んだのがきっかけかもしれない。
高校生の頃、
ハガキを常備して、番組を聞く→ハガキを書いて投稿する、
を繰り返してました。

最初は出しても出しても採用してもらうことはなかったです。
初めて採用してもらったのは、土曜日の夕方にNHK-FM大阪放送局がやってた番組でした。
紙ふうせん平山泰代さんとKATZEのあっちゃん、こと中村敦さんがパーソナリティを
していて、今で言うJ-POP中心に流している番組でした。
決められたテーマでリクエストを出す、というコーナーでお題が「夏の避暑地ソング」の時に、家族でハワイ旅行に行った時のエピソードと共に大江千里の「ハワイにいきたい」をリクエストして採用されたのが最初だったと記憶してます。

その後は、ポツポツと取り上げられるようになりました。
限られたスペースにネタを書く、というハガキの扱いがこなれてきたのかもしれない。
ネタ帳作って毎日どこかの番組に書いてましたよ。
一番多かったのは毎日21時からNHK-FMで放送されていた「ジョイフル・ポップ」
パーソナリティは日替わりでした。
月曜のパール兄弟のサエキケンゾウさん、火曜の岡村ちゃん、金曜の中島みゆきさんを聞いてたかな。
岡村ちゃんが番組を始める前から入魂のハガキを投稿して採用してもらったのはずーっと前に書いた通り。全国放送で採用していただいたのは、後にも先にも岡村ちゃんの番組だけ。

森田恭子さんの番組が好きでしたね。
「Music...ING」を熱心に聞いていて、毎回ハガキ出したけど採用されず。
森田恭子さんからラブ・ポーション中村貴子さんに変わってからは時々採用されるようになった記憶あります。
森田恭子さんにもFM802の「Music GUMBO Friday」時代にやっとのことハガキを読んでもらえるようになりました。

出しても出しても最後まで採用してもらえなかったのは、Privatesの延ちゃんがやってた深夜番組
毎回録音して、全放送分揃ってたけど、捨てちゃったよ。
もったいないことしたなぁ。

憧れだった森田恭子さんの番組でハガキを採用していただいた頃から大学生になってあまり家でラジオを聞く時間がなくなって、自動的にハガキも書かなくなり、ハガキ職人も引退?しました。

手元に残っている番組や放送局グッズが良い思い出です。
でも、一番採用してもらったのはNHK-FMだったんです。
NHKは何ももらえないから、残念。。

今はラジオへの投稿もハガキよりもメールなんですかねぇ?