慟哭

大百科のDVDも見ずに、見入ってしまった映像がある。

岡村ちゃんと尾崎の「YOUNG OH OH」
まるで子犬がじゃれあうかのように、二人で歌い、ステージを走りまわる様は
二人の関係が本当に心おきないものであったことが明らかだった。

尾崎の姿を見た瞬間、
よく女の子がさ、TシャツにGパンの似合う人がかっこいいとか言うけどさ、
やっぱ 俺は裸がかっこいい人がかっこいいと思うよ。
岡村靖幸 「Boys」)

というセリフが頭の中を走り、「TシャツにGパンの似合う人」って、
尾崎なんだと思った。

若い岡村ちゃんを見て、時間の流れを感じ、途中で時間を止めたまま、
永遠の存在になってしまった尾崎のことを切なく思った。
そして、今も心の中の時計がどこかで止ったままの私の意識は、
映像を見ながら過去へと飛んでいってしまったのだった。


私の世代は、尾崎豊に心酔する人たちが大勢いる。
私は、ちょっと斜からそれを見ていた人。
だけど、尾崎が亡くなった日のことはよく覚えてる。

あれは、大学2回生の新歓コンパの翌朝だった。
大学の近くの先輩宅で夜を明かし、早朝バイトに向かうために
京阪の始発だったか2本目だったか、
なんせ京都から大阪に向かう電車の中のことだった。
ガラガラの車内で、一緒に同じパートの先輩と二人、気怠く座っていたら、
尾崎の死を報じたスポーツ新聞が床に落ちていたのだった。
人が亡くなったというのに、朝の光とシートの緑色が
やけに目にまぶしかったのを覚えてる。
隣にいた先輩は、「だいすき」くらいしか知らないとはいえ、
当時サークルの中で唯一、岡村ちゃんの話をして通じる人だった。
(実は他にもいたのだけど、その時は知らなかったのだ)
「一つの時代が終わったな」
と、その時、先輩は言ったと思う。
とりたててファンだった訳ではなかったけど、
私も計り知れない寂しさというか、
喪失感をそのニュースから抱いた。

先輩は大鶴義丹に似ていると言われていたけど、
私は岡村ちゃんに似てると勝手に思ってた。
それは、今も変わらない。
そういえば、私が「イケナイコトカイ」を歌うのは、
必ず先輩がいる時だった。カラオケで
岡村靖幸を何か歌って下さい」
とおねだりしても、
「『だいすき』しか知らないよ」
と言うだけで一度も歌ってくれなかった。

フレッシュボーイ・ツアーで、岡村ちゃんを久しぶりに見た瞬間に思い出したのは、
やっぱり先輩のことだった。
去年のMe-imiツアーの初日のチケットを余らせてしまって、
先輩と見に行ったらどうだろうか、と誘ったけど先約があって断られたこと。
岡村ちゃんのステージを見たら、先輩に何か化学反応が起こるのではないか、
と今でも勝手に思っていること。
多分、そんなこと知ったら
「あのなー、えぇ加減にしろよ」
と一言、いわれるのが分かっているけど、そんな妄想が止らない。
「わがままジュリエット」も良かったけど、「だいすき」を歌ってほしかったよ。
今なら「ア・チ・チ・チ」が似合うと思うけどね。