バイアス

納豆がダイエットに効果的というのは「捏造」だったというニュースが出て、やっぱりなぁ、と思っていた。
これで常日頃から納豆を食べている人たちは、ホッとしているのではないかと思う反面、振り回された納豆業界の人たちがかわいそうに思う。在庫が廃棄処分されるなどというもったいないことがないように、と願う。

店頭から納豆が消えたという話を聞いた時、私は正直
「なんと愚かな。。」
と思っていた。「メディア・リテラシー」ってのを知らないのかと。
そして「捏造」が発覚して「やっぱりなー」と思っていたら、内田先生が
納豆疑獄とメディアの凋落」で、
テレビで「納豆を一日二個食うと痩せる」と言っていたので、本当だと思ったという善男善女のみなさんはこの機会に「メディア・リテラシー」ということの必要性を学ばれたということでよろしいのではないでしょうか。
と書いておられたので、ニヤリとしてしまった。

私はテレビをほとんど見ないので、この「あるある大事典2」も見てなかった。
それでも今回の話を聞いて、
「納豆を1日二個食べて痩せるわけないだろう」
と思っていた。だいたい、そんな食生活で痩せるくらいなら苦労はない。
白インゲンの問題があったばかりというのに、今度はスーパーから納豆が消えたという話を聞いて、テレビが言ったから、というだけで話を真に受ける人が恐ろしく多いことに、頭がクラクラする思いであった。まぁ、お昼の番組でみのもんたが何かをオススメするたびにそれが1週間くらい品切れを起こす
というのは毎度のことのようだから、「メディア・リテラシー」も何もあったものではないか。
内田先生だったか誰だったか忘れたけど、「テレビで言ってた」という理由でなんでも信じてしまう人がかなり多いと言っているのを聞いた記憶がある。そんな調査があったのだったかな。そういう人がやたら多すぎる気がする。

メディアが発信することを鵜呑みにしちゃいけない。
きちんとメディアを読み解く力を持たなければ。
どんな情報だって、フィルターがかかっているのだから。
それは、自分が見聞きしたことを他人に話すときだって同じ。
話し手によって事実が良くも悪くも変わる。つまり、偏りがあるということ。
聞く側は、メディアの情報を鵜呑みにしないで情報を取捨選択する能力が必要だ。

私は性善説でつきぬけておめでたいから他人のことはすぐ120%信頼してしまう。
そんな私だけど、マス・メディアはあまり信用していない。
取材され、報道される側に立ったことがある経験から、テレビは特に信用しない。
テレビであれ、新聞であれ、雑誌であれ、ラジオであれ、自分の語った言葉が他人をフィルターされて世に出て行く時、果たしてこれは自分が話したことか?と思うほど変わってしまうことがある。

テレビが一番酷かった。
あなたたちのことを取り上げてあげるからカメラの前でお話しなさい、
と言わんばかりの態度で接してきた人たちもいれば、
「生の被害者の声を聞かせてください!」と土下座せんばかりの人(私はその場にいなかったから知らないのだが、そういう記者がいたらしい)
もちろん、真摯な態度で取材をしてくださった人もいた。
それでもテレビはセンセーショナルな映像を求めたがる。
悲惨な話を聞きたがる。
テレビ、特に民放の場合、「スポンサー」という存在があるから、「スポンサー」が「うん」と言わなければ良いモノを作っても放送されない。そうやってお蔵入りしたものもある。

流行にしても「やらせ」や「情報操作」があって、私たちは「作られた虚構」を見せられていることが多い。
「虚構」を「虚構」と思って見ることができるならば良いけれど、「虚構」を「事実もしくは真実」と思っている人たちの多いこと。

なんてほざきつつ、私もインターネットという一種のマス・メディアの一端で不特定多数に対して発信している訳でして。
私の語りも言わずもがな、バイアスがかかっておるんですよ。