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勝手に内田的恋愛論その4

あれ、もう終わったんじゃなかったの?
って思われてるかもしれないですが「勝手に内田的恋愛論」は
まだ終わっておりません。しぶとく続きます。
何も出なくなるまで書ききってやるんだから。
(・・・何を意地になっているのでしょう?)
とか書きつつ、今回と番外編も含めてあと3回くらいで終わる予定です。

今回は、前回書いた
「相手がいる」ことを想定しないと、何もできない。それが人間です。
を受けていこうと思ってます。ちょっとまた恋愛風味はないのですけどね。

タイトルをつけるなら、
「未来に向けて相手によって同じ話でも変わってしまう」
かな? 私が、なるほどねぇ、と思った部分の抜粋が主になってますが
シリーズ全体で見渡すと何となく私が言いたいことが伝われば良いな、
と勝手に思っております。

内田先生いわく、
私たちの話は、つねに聴き手を前提し、その聴き手にどう届くかということを
気づかいながら語られます。


私たちは聴き手から愛情や理解や敬意を獲得するために、自分の過去について
語ります。未来への志向を含まない回想は存在しません。 


「自分が思っていること」も相手によって変わります。
どんなふうに?と思われるかもしれないですね。
「先生はえらい」は、中学高校生向けですので、例が彼/彼女向けですが、
これがまた、とっても分かりやすいです。
「これからやりたいこと」を訊かれたとして、この答えは相手が
友だち、親、担任教師でも同じか?

教師には「はい、大学に行きます」と答えるけれど、友だちには「ロック
ミュージシャンになるぜ」と答え、親には「うるせえな」と答える
というくらいの違いはあって当然だと内田先生は書いておられます。
これは、どれがほんどうで、どれが嘘ということはなく、どれも「ほんとうに
自分が思っていること」なんだけど、「自分が思っていること」の切り出し方
違うだけなのだと。なんで切り出し方が違うかというと、それは自分のことをど
う思われたいのか
が、相手によって違うから。
教師には、あまり面倒なことをいわれたくないので、それ以上つっこまれないよ
うな無難な答えで受け流す。友だちには、そういう答えをすると「へえ、意外・
・・」とちょっと驚かれそうなことを言う。親には、そういう質問そのものに対
するいらだちをストレートにぶつけて、「そういうつまらない質問は今後は控え
るように」というメッセージを送る。


人間が自分について語ることは、それを聞いている相手と自分のこれからの関係
をある程度決定します。ですから、私たちは相手にどう思われたいのかを絶えず
配慮しながら、自分自身の意見や、願望や、記憶を語り出すのです。



私のこのblogでさえも、不特定多数の読者の方にどう思われたいのかを
配慮して書かれています。意識して書いてきたわけではないのですが、
この本を読んだとき、妙に納得してしまいましたもの。
ただし、私のblogは常に不特定多数を意識している訳ではなく、
エントリによっては、たった一人の読者を想定して書いていることもあります。
そんなときは、切り口がいつもと全く違うので非常に分かりやすいかと思います。
(そこまで分析しながら読んでる人はいないか。)
私が自分のblogを「私の残像」と呼び、「Emmeryに騙されるな!」という
キャッチコピーをつけているのは、その辺りに理由があります。