14歳

少し前に、映画「誰にもいえない」で有名になった柳楽優弥くんみたいに
強い眼差しを持っている少年に出会った。彼はちょうど14歳。
江原啓之さんの子ども時代のように他人のオーラが見えるらしい。
そして、そんな自分がおかしいんじゃないか?と不安がっていた。
いわゆる「スピリチュアル系」なちょっと気の触れた(笑)おじさん、
おばさんたちに「見えるって変じゃないよ。」とか、「私も見えるよ。」
なんて言って一緒にエネルギーを見たりして、自分と同じ能力を持つ人が
他にもいることを知って安心していた。
彼と出会った時、私は世の中に対してちょっと拗ねていた。
生来、人見知りで恥ずかしがりなんだけど、年下の子は、
姉キャラになってしまえばそこそこ大丈夫なハズなのに、
彼の前では姉キャラに入れず、お姉さん的振る舞いができなかったというか、
冷たくもないけど「ふーん・・・」って無関心みたいな振る舞いになってしまった。
彼自身も人なつこくいろんな人に話しかけるタイプではなかったようで、
私がシャイな振る舞いをしていたから、向こうのシャイさも引き出されて
二人で向き合っていたり、隣同士だったり、お互いが見える範囲に
存在している間、二人の間には何とも言えない緊張感が漂っていて、
ずーっとそれを打ち破ることができないままでいた。
お互いがお互いを意識して対して何か言おうとしているのだけど、
言い出せない緊張感を最後までキープし続けてしまった。
そんな自分を情けなく思いつつ、彼の強い眼差しの中で、
私のエネルギーやオーラは、どんな風に見えてるんだろう。。
って考えたりしていた。

そして、私が溺愛しているイトコくんもちょうど14歳。
この夏の終わりに一緒にB'zのコンサートに行くのだけど
(そうそう、無事にチケットをゲットできたのです!)
いつまで「Emmeryちゃん、コンサート一緒に行こー!」
って誘ってくれるかなぁ。イトコくんの初コンサートを私が
ご相伴に与れるとはとは光栄。。
20歳違いなので赤ちゃんの頃からベビーシッターも何度もやって、
ずっと成長を見てきたのだけど、お正月に会ったら、遂に私の身長を
抜かしてしまっていた。そして、少しずつ子どもから少年というか、
大人の顔が覗き見えたりして、あー、無邪気なのもいつまで?と思う。
お子ちゃまな時は、いろいろとお話してくれたけど、最近は恥ずかしがって
会ってもあんまり話してくれない。
メールだと、ちょこまかと話をしてくれるのにね。

現在は共学になってしまったらしいけど、私の高校は、男女別学という
少し変わったところでした。
当時は男子のみ中学部があって、男の子たちの成長していく様を
見ることができた。これがなかなか興味深かった。

中学1年生は小学生の延長線で、まだまだお子ちゃま。
クラスには男の子しかいなくて、授業外でしか触れ合うことのない
私たちのような女子高生に対しても、「女の人」という意識がないので
とってもとっても無邪気。

中学2年生は子どもから少しずつ抜け出していこうという何かが見える
微妙なお年頃。大半の子は、まだ私達を「女の人」というよりも
「お友達」として見てくれる。

中学3年生になると、急に大人になってしまうっていうか、
明らかにお子ちゃまではなくなってしまう。私たちを見る眼差しも
「お友達」じゃなくって「女の人」に変わる。

内田センセの本に、「子どもががらりと変化するのは、たいてい中学二年の
夏休み」ということが何度となく出てくる。
夏休み前まではなんだかおどおどして、はっきりしない子どもだったのが、
夏が終わると、髪の毛を茶色に染めて、昇降口に座り込んで、三白眼で教師を
にらみつけて「うぜえんだよ」と追い払う・・というふうに変貌してしまう。
高校時代に中学部の男の子たちを眺めていた経験から、確かにそうかもしれない、
と思う。

(以下、内田センセのいろんな本からの受け売り)
ちょうどその時期は、第二次性徴があって、子どもの心身の乖離がでてくる時で、
自分の身体が自分のものに思えないという違和感に苦しんだり、それまで自分の
中には善しかなかったのに悪という概念が出てきたり、自分自身の欲望との
不整合感がぬぐえないなど、中学二年生頃には自意識の混乱が起こる。
口ごもったり、言いよどんだり、身の置き所に困ったり、というのが
内田センセ曰くの思春期のシャイネス「王道」らしい。
自分の「内面」と自分のことばや姿かたちとのあいだには齟齬があるはずで、
その「ずれ」をなんとか調整しながらアイデンティティをゆるゆると構築してい
るという時間と手間のかかるプロセスに耐えきれず、レディメイドの「不良少年
の型」にすっぽりはまることで、このシャイネスにケリをつけたつもりになり、
自分は「自分らしさ」を達成したという幸福な幻想のうちに眠り込んでいる。
思春期の個性を捨て値で売り払うことことによって、アイデンティティのある種
の安定感を買い取るのは、不利なバーゲンである。 (受け売り終わり)

本来、一人ひとり感じていることはバラバラなはずなのに、それを全部
捨て去って型にはまった即製不良になることで、個性を得たと思ってしまう。
中には、レディメイドな型にはまってない不良少年もいるだろうけど、
不良少年になることで個性的になったつもりで実はそうじゃなくて、
端から見たらステレオタイプな十把一絡げの個性でしかないってのは、
皮肉なんだけど、最近はそういう子が多いのかも?

キラキラ光りながらも、内田センセ曰くの「シャイネス」を
にじませているのが目に見えて分かる14歳の少年たちが
この夏、レディメイドの不良少年になりませんように、と願う。