14歳のライブ・レポ 「大江千里」編

お子ちゃまの頃から日記をつけておりました。
今のようにblogで公開するなんてことはあり得ない、
自分のためだけにノートにせっせと綴ってました。
そんな時代から誰に教わった訳でもないけど、ライブに行ったら
必ずその日の日記にライブ・レポを書いておりました。
少し前に、そんな過去の自分が書いたライブ・レポを読み、
その書き込みように驚いてしまいました。
10代の頃のレポは、すでに今とクオリティ面では変わらないものを
書いておりましたんでね。
誰かに読ませるものではないくせに、せっせと書いていたレポを
埋もれさせておくのももったいないような気がしたので、
折りをみて、少しずつここでアップしてみようかと思います。

第一弾はもちろん、初めて行ったライブのレポート。
初ライブからレポ書いてたんですねぇ、私って。

生まれて初めて一人で行ったライブは、中学2年の冬に
大阪フェスティバルホールで行われた大江千里さんのライブでした。
クラシックのコンサートは、小さい頃から母に連れられて、何度も観に行ってた
けど、ポップスのライブは初めて。
お正月のお年玉で、難波にある中古レコード屋さんで「新品」の札のついた
千里さんの「AVEC」というレコードを買ったのをよく覚えてます。
その後、何を思ったか、「ぴあ」で千里さんのライブの立ち見席のチケットが
売られているのをみて、私は「1枚ください」と買って、一人で行ってしまった
のでした。今思えば、すごいなぁ。一人で行っちゃったなんてね。

初めてのライブを一人で乗り込んでいったから、緊張いっぱいで、
目を大きく見開いて、じーっと周りを見てました。
始まってからも、「これがライブというものか。。」と、
どこか冷静な眼差しで見てた記憶があります。

初めてライブというものを体験し、その日の晩の日記にライブ・レポを
書いています。日記だから、誰かに公開するつもりなんてある訳なく、
自分のためだけに書いているものです。
今回、20年ぶりくらいに読み返してみて、初めてのライブなのに
こんなに詳細を覚えて書き込んでいる自分にビックリしました。
覚えていることもあるけど、大半は忘れていました。
補足を途中で入れましたけど、基本、そのままタイプしてます。
さすがに平仮名でいっぱいは読みにくいので、漢字変換しましたが、
20年前の14歳の私が書いた文章なので、訥々としていて拙い部分が
多々ありますけど、そのままです。

長々と書くのは、当時からの癖のようです。
長いので、「続きを読む」設定にします。
20年前、14歳のおこちゃまだったEmmeryが観た千里さんのライブ・レポに
興味のある方は、ポチッとクリックしてお読みください。

1987年2月15日(日)
大江千里 "AVEC" Concert Tour @大阪フェスティバルホール


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青い文字は、補足です。
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フェスティバルホールには、)人がいっぱいいてた。
ヤクザ風のおっちゃんが
「チケットあまってへんかー。あまっとったら買うでー。」
と言ってた。他のところでは、
「チケットない人あるでー」と売ってた。
(生まれて初めてダフ屋さんを見て驚いたんでしょうね。
しょっぱなからこんなに書いてるなんて。)


キャラクター製品売ってるところもあった。
立ち見席の列に並んだ。
5時頃までずーっと立ってた。すごくしんどかった。
5時頃はいった。私はあぶれて、人と人の間からしか見れなかったけど
親切な人が「入る?」と行って席をつくってくれた。

(初めてのライブなのに、一人でしかも立ち見。
何をどうしたらいいのか分からず、お子ちゃまが一人で心細げに
キョロキョロしてるのを見て、二人のお姉さんが声をかけてくれたのを今でもよく覚えてます。
「一人で来たん?」
「私ら、コンサートはいっつも立見なんよ。その方が近くで見れるから」
とか、開演まであれやこれやと話してくれたのもよく覚えてます。)


(ステージは)「AVEC」と書かれた紙(?)が覆われている。
(SEで)外国のムード音楽が流れている。
客席がフッと暗くなった。
するとおっきく千里さんの影が映った。
千里さんの影はピアノを弾いてる。「きみと生きたい」のインストだ。
みんな一気に立ち上がった。
AVECの幕があがった。

みんな、キャーという歓声と共に「千里さーん」と叫んだ。
私の隣の人は、「千里さんだって」と言って、「千里クーン」と叫んだ。
1曲目は「コインローファーはえらばない」だった。

(今でもライブが始まった瞬間の映像とイントロのピアノの音は、目の奥と
耳の奥に焼き付いて離れません。それだけインパクトがあったってことですね。)


All Right!!! のところが何度もくり返されてた。
「手垢のついたステーショナリー」「長距離走者の孤独」「17℃」と続いた。
千里さんのステップは上手かった。カンドーだった。

MC「時間を忘れて悔いのないように楽しんでください。」
「いつもこのツアーでは、メンバーが円陣になって、オゥ!なんてやってます」
と、あと、いろいろ言って
「いくぜ!」
と一声言って「きみと生きたい」が始まった。
最初は手拍子があったけど、すぐなくなり、人はすぐ座り始めた。
次は「マリアじゃない」「ジャニュアリー」と続く。
「Boy Meets Girl」とかやって、またMC。
「今、敢えてツアー中にレコーディングやってます」とか
「あと何日なんて、大阪に来る日を指折り数えたけど、プライドがそんなことを
少しも顔に出さない」とか、いろんなことを言ってくれた。
「ビデオがでます!」と言うと、ふつーに「おーっ」とか言ってたら、
千里さんは「もっとおっきく言ってくれなきゃ」とか言って、やりなおした。
レコーディングのことも話してくれた。
ピアノの弾き語りで「去りゆく青春」にいこうとしたら、
「こばやしせんせー」「せんちゃーん」
のかけ声におどけて、少しモノマネしてくれた。そして言った。
「この頃、演技が自然になったねって言われた。早く忠告してくれなきゃ」
(今となっては、「こばやしせんせー」に何の意味があったのか、さっぱり思い出せませんが、ドラマに出てた時の役でしょう。)

そして「去りゆく青春」
その後、いろんな曲をやった。
ステップを間違えたように茶目っ気たっぷりだったり、切々と歌い上げたり
すごかった。そして、衣装替え、バックバンドのメンバーが互いに紹介していく。
紹介されるたび音楽が盛り上がる。そして、千里さん登場。
すっごく盛り上がっていった。

そして「AVEC」 ラストナンバーだった。
アンコールは、千里コール
どんどん千里コールが速くなって、私はしらけた。
でも、手拍子は続けた。
すると、千里さんが出てきた。
アンコールは3曲だったと思う。「十人十色」の時はうれしかった。
RADIOみたいに、「十人十色 せんりー」は、なかったけど、すごくノレた。
こぶしというより、人を指すポーズで振り上げたり、すごくノってしまった。
(アンコールになって、やっと緊張が解けてライブの楽しさを知ったのであった。)

次のアンコールの時は、私はお腹の底から「千里さあーん!」と叫んだ。
長い間、千里コール。すると、普段着の千里さんが出てきた。
「ありがとう!」何度も言って。
あ、そうだ。最初のアンコールのとき、
「サイコー?」とか「Year!」とか、千里さんが叫べば
私たちがこたえるのがあった。
(いわゆる、コール&レスポンスってやつですな。)
なんだか一体感があって嬉しかった。
千里さんは言った。
「最後に1曲」
と言って、ピアノを弾いて「Bed Time Stories」を歌った。
マイクを通さない、生の千里さんの声がきこえた。
決して声の調子はよくなかった。
「こんな声の僕を・・」と何度も言った。
みんなで「Bed Time Stories」を歌った。
ホールいっぱいに大合唱になった。
普通だったらこれでおわりで、帰る人もいたけど、
なぜか千里コールは続いた。5分くらい続いた。
私の隣の人は、
「やめよーぜ。千里の声がつぶれる」と言ってた。
「出てきたら前代未聞やね。」とも言ってた。
千里さんは出てきた。
マイクがないから、身体いっぱいにありがとうを表してた。
走っていって、ピアノのマイクをとって言った。
「ありがとう。僕はこの熱気を忘れない。人間は感動でもすぐ忘れるけど、
僕は今日のことは日記にでも書き付けておきます。
そしてもう一回、君たちの声を聞かせてください。」
と言った。私は夢中で「千里さーん」と叫んだ。
千里さんは「ありがとう!」と言うと帰っていった。
私は帰った。
来年また来ると誓って。
(なんて書いてますけど、次のライブは18年後ですわ。)

あ、千里さんね、「恋する女たち」 (ドラマでしょうか?)にチラッとうつってるんだって。ナイショだよって、千里さんが言ってた。
終わった後、私の身体はすごく軽かった。
サイコーだな、千里さんって。
それから、MCで、ビデオのことを言ってた。
「AVEC」のジャケットの色(ちょっとレトロな黄色です)って
心の中でめらめら萌えているのを表した。
黄色のファインダーからのぞいた。
何かをつくっている僕のびしっとした横顔を見てください。
それと千里さんは
「難波とか梅田を歩いてるサラリーマンとかにはなりたくないと思った時があった。でも今は思ってない。大勢いて、同じような服を着てても、顔が一人一人違う。すれ違って、もう会えない人もいるしさ。その瞬間を大切にしたい。」

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以上です。
いかがでしたでしょうか。
14歳の私が日記に書いたライブ・レポ。

質という意味では、最初っからスゴイですね。
(って、自分で書いてどうする。)
20年経っても、変わらないことやってますなー。