マリア

<Emmery Annexの過去ログ>

何回かに分けて、先日体験してきたセミナーの話や学びを紹介します。
当初は2回で書こうと思っていたのですが、そうすると1回がかなり長くなりそうなので、手頃な長さで分けるようにしてご紹介する予定です。

こんなblogを書いていますが、いわゆる、スピリチュアル系やニューエイジ系精神世界系と言われるセミナーを受けるのは初めてでした。ちょっと意外かもしれないですね。
これまでも受けたいな、と思っているセミナーがあったのですが、なかなか都合がつかなくて、今回のセミナーは不思議なくらい当日が空いていたので受けなさい、ということなのだろうと一人で納得しての参加でした。

当日は、疲労が抜けきらない状態で、セミナーでは瞑想をするだろうから、そうすると眠ったのか瞑想状態に入ったのか分からない状態になるだろうな、と思ってました。
セミナー会場の1階が水晶などを扱っているお店なので、開場を待つ間、たくさんの水晶たちを眺めていたら元気になりました。

今回2つのセミナーを受けたのですが、1つ目は「エンジェル・ワーク」セミナーでは、予想した通り瞑想があり、座禅は組めないので、あぐらで座っていたのですが、身体がほぐれないまま座っているのがちょっと辛くて、椅子席にしたら良かった。。なんて思っていました。

瞑想の中、全体へのメッセージで出てきた天使が「マリア」でした。
このblogでも少し前に「誰のメシアにもなれません」と書いたことがあるように、プライベートなところで「私はあなたのマリアになれません」と書き放ったことがあったので、マリアの出現に面食らっていました。

チャネラーの口から伝えられたメッセージそのものは、その時はしっかり聞いていたのですが、やはり最後は瞑想状態だったのか、眠ってしまったのか分からなくなってしまって書き起こせる状態ではありません。
とはいえ、印象に残った言葉は覚えていて、それは
「私はいつもあなたの心の内にいます」
というものでした。

私はマリアじゃない、マリアにはなれない、
と書いたことがあった都合、マリアが「いつもあなたの心の内にいる」
という言葉は、かなりの衝撃でした。
「あなたが私の中にいる? じゃ、私の中のマリアの存在が外に現れることもあるってこと? マリアそのものにはなれないけど、やっぱり私もある意味、マリアってことなの?」
と、矢継ぎばやに頭の中で疑問が飛び交いました。

そうするうち、今までの人生で出会ったマリアの記憶が甦りました。

まずは幼稚園時代。キリスト教でも聖母マリア信仰の宗派が設立した幼稚園に通っていたのです。園内にイエス・キリストを抱いた聖母マリア像があり、毎日マリア様に向かってお祈りしていました。幼い頃は、聖母マリアは日々の生活の一部だったのです。家には、私がもらったものではありませんが、幼稚園でもらった聖母マリア像が2体あることも思い出しました。

もう1つあるマリアの記憶は、5年ほど前に、強い感情を出さずに押し殺した結果、病気になってしまい、何をしても回復に向かわず途方に暮れていたら、それを伝え聞いた母の友人が遠隔で私に癒しのエネルギーを送ってくれた時のことです。
まだ精神世界を不審がっていた時期ではありましたが、確かに何かが私の中に流れ込んできて、涙がすーっと一筋流れたかと思うと、ずっと押し殺してきた感情の扉が開き、溜め込んでいた感情を出すことで1週間近くわたって苦しんでいた、何をしても治らなかった症状が不思議にも消えてしまったのです。
この時、母が友人が送ってくれたエネルギーは「聖母マリアのエネルギーだ」と言っていたのをぼんやりと思い出していました。

そして、無意識にもこれまで何度となく何かの折に、「私はマリアじゃない」
「マリアにはなれない」と言ってきたこと。
キリスト教はあまり好きじゃなくて、アクセサリでクロス・モチーフをつけることさえ避けてきたくらいなので、「私の中にマリアがいるですって?」といろんなマリアの記憶を思い出しながらも、戸惑いを隠せずにいました。

実は、このblogを書きながらも「マリアが私の中に?」という思いは消せません。
まだ「マリアと私」は未消化です。
あれだけいろんなメッセージを聞きながら、たった一言しか心に留まっていないなんてどういうことか、と思ったりもするのですが、おそらく私への課題と言いますか、何か学んでいく必要があるのでしょう。

ここで、いったんセミナー報告第1回目は終わりにしましょう。
やっぱり長くなってしまいましたね。。

水晶の月3日 KIN49/ 赤い惑星の月