感情をもつこと

<Emmery Annexの過去ログ>

インナーメッセンジャーではない、別のメルマガで

スピリチュアルな探求の旅を始めると、「感情」から目をそらしがちになるが、
感情は、様々なものを自らに教え、気づかせていくもので、感情と向き合い、
見据え、コントロールして、自分の内側を眺めて欲しい

といった内容の記事がありました。

前にも書いたことがあるのだけど、精神世界系の本を読んでいる時、本にもよりますが、時々感じる違和感を思い出しました。書かれていることを実践して、どんどんピュアになるのは良いことだと思うけれど、ピュアになりすぎたらおもしろくない、と。

多分、その本の著者が本当に言いたいことをきちんと捉えることができていないだけなのかもしれません。いつでもどこでも穏やかで、愛に満ちあふれた存在でいられることが理想なのかもしれません。でも、そこまで進化していない私は嘘くささを感じてしまいます。

本に書かれている「ピュア」を理想とすれば、理想を近づくために、自分の感情を無きものとして扱ってしまう人が出てしまうのは分からないでもない。でも、感情を脇におしやって無きものとしている人たちは、どことなくふわふわとしていて、逆に地に足がついていないような印象を受けます。

私自身、常日頃は見た目クール、同僚からは「いつも冷静沈着ね」と言われて過ごしています。でも、それは職場だから敢えて、何があっても感情に振り回されず淡々といられる自分を演じているだけで、本来の私はそうではありません。

強い感情が湧き起こった時、その感情に理性を失って振り回されそうになったりすることがありますが、でも、肯定的、否定的な感情を問わず、そんな感情を持つことができることは人間ならでは、の特徴なのではないかと思っていますし、辛い感情であったとしても、いろんな感情を持つことができる、ということに愛おしさを感じます。言葉にしたら、矛盾しているように聞こえますね。

感情は、自分の中にある何かに起因して起こるものです。
だからこそ、どんなものであれ否定せずに感情を受け止め、その奥にあるものを見据えていきたい。そんな風に思っています。

水晶の月17日 KIN63/直観を解き放つ 青いスペクトルの夜