きっかけの時

<Emmery Annexの過去ログ>

なんとなく最近、私にこのblogを書かせている力って何かな、と、このところしばらく、心が衰弱しきっていたのでロクなことが書けてなかった反省も含めて、つらつらと考えていました。
霊や前世などは見えなくても、自分には何か超能力的な力があるみたい、
という意識がずっとありました。

氣功の先生は、「超能力は、そもそも常能力だ」とおっしゃる。世の中があまりに便利になりすぎて、人間が本来持っている能力を忘れてしまっているだけなので、超能力でも何でもないのだと。

確かにそうなのでしょう。氣功などをすることは忘れていた能力を取り戻していく手段なのかもしれない、と思います。最初に自分の力を確信したのは氣功の合宿に参加したときのことでした。

二人ペアになって、お互いに向き合い、お互いがお互いに意識を集中して相手のことを感じ取る、というワークをした時のことです。
かなり前の話になってしまいましたので、おぼろげにしか覚えていませんが、何かよく分からないまま、相手のことに集中していると、自分の身体の一部がじわじわと痛みだしました。ワークの後で、お互いに相手のことについて感じたことを話し合ったのですが、その時に私が身体に感じた痛みは私の相手が慢性的に痛みを感じている場所だったことが分かりました。
氣功のワークでやっているくらいなので、多分、こんなことはちょっと訓練したら誰でもできることだと思います。その時私は、ただひたすら相手と正面を向き合って、意識も相手に向けたら言葉を介さなくても情報を受け取ることができることが分かって、自分にもそういう能力があるということを体感しました。

後でよくよく考えてみたら、そんな体験をする前から、その程度のことは意識していなかっただけで前からやっていたことに気づきました。
アメリカでルームメイトたちと一緒に生活をしている時に、ルームメイトがひどい凝り症でしょっちゅうマッサージを頼まれたのですが、最初はぎこちなかったものの、いつしか自然に彼女の呼吸と合わせ、身体に意識を向けることでどこに手をあてれば良いのか分かるようになりました。そうなると、長時間マッサージをしていても疲れない上に、相手が気持ちよい、心地良い、と感じればそのエネルギーが自分にも入ってきて自分も一緒に気持ちよくなれることを体感していくようになりました。

多分、こういうことは職業としてマッサージをやっている人たちの大半が意識せずにやっていることだと思います。氣功のワークで意識的にやったから特別感を持てただけだったのでしょう。
ただ、このワークをきっかけに自分の持つ力を肯定していこう、という気持ちになり、少しずつその力に広がりを感じるようになったのです。

月の月18日 KIN149/流れをつり合わせる 赤い律動の月