伊勢まいり初日

<Emmery Annexの過去ログ>

まだ、伊勢について何をどうやって紹介しようかと悩んではいるのですが、ひとまず時系列で体験したことを中心に書いていこうかと思います。

伊勢に着いた初日は、外宮をお参りしてから内宮をお参りしました。
伊勢神宮は、外宮→内宮とお参りするのが正式な順番です。
外宮は、伊勢神宮のご祭神である天照大神の召し上がり物を守護する豊受大御神が祀られているからです。

「伊勢まいり」は、「おかげ参り」と呼ばれるように、いろんな人が「おかげ、おかげ」と自分の願い事をする為、特に内宮はたくさんの「欲望」がうずまいていて、巫女体質の人や霊感の強いタイプの人は気持ち悪くなることが多いのだそうです。
本来は、そういう思いは参道の途中にある五十鈴川に流すのですが、流されることなく持ち込まれた欲望が多く渦巻いているらしいです。

神社とは、本来そういうお願い事をする場所ではないのか?
と思われるかもしれませんが、日頃の感謝もなく、ひたすら私利私欲の願い事をぶつけてくる人が多くて、神さまも疲れておられる、と、言う方もいます。

では、お参りで何をしたら良いか、といいますと、
「おかげ」と私利私欲のために祈るのではなく、感謝と懺悔、
「(お守りいただいて)ありがとうございます」
「(自分の至らなさに)申し訳ございません」
この2つしかない、特に、他人の失礼を謝れるくらいであれ、と
いつも先生には言われています。
私はその話を聞いてから、神社で自分のために祈ったことはありません。

初日は夕方に訪れたせいか、重苦しい感じがしました。
憑きやすいタイプではありませんが、頭が痛くなってきて、今思えば、しっかり影響を受けていたようです。影響を受けやすい人は、かなり気持ち悪くてやっとの思いで参道を歩いていた、と後で言ってました。

神社をお参りするなら午前中が良いと言いますが、翌日以降に内宮に早朝参拝した人たちは、夕方と違って早朝は同じ場所とは思えないくらいとても清々しかった、と言ってました。私も最終日の午前中に内宮の正式参拝をした時、初日の夕方に感じた重苦しさとは全く別の清々しさを体感しました。

少し話が変わりますが、伊勢神宮を訪れたことがある方はご存じでしょうが、
外宮も内宮も、鳥居からお宮まで参道がとても長いです。
鳥居からお宮まで玉砂利の道を延々と歩きます。内宮は、途中で五十鈴川の御手洗もあります。

どうしてお宮までの参道が長いのだろう。。

と思いながら歩いていたら、

それは、お参りをするにあたってグラウンディングする為です。
玉砂利は、しっかりと踏みしめないと歩けないから、玉砂利の道を延々と歩くことで頭にのぼっていた氣を下におろしてお宮に着くまでに氣を静め、地に足をつけるためです。

と、聞こえてきました。

氣功教室でも、最初は歩行功から始めます。
意識して歩くことで、上がっていた氣も下がっていきます。
頭に氣がのぼっていると、きちんと歩けないことに驚きます。
「歩く」という行為そのものはできますが、ふらふらしてしっかりと地面を踏みしめて歩くことができないのです。
人間のエネルギーは、逆三角形が理想と言われています。
頭に氣が上っていると、エネルギーが逆三角形になり、丹田(おなか)にあるべきエネルギーが不足してしまって、いわゆる「ハラがすわっていない」状態になります。単純ですが、足の裏を地面にしっかりつけてひたすら歩くことで、頭にのぼっている氣を下げて安定することができます。

一つのエントリに何をどこまで書くか、書きながらも相変わらず悩んでいて、ちょっと、ダレ気味な感じがしているのですが、自分の中の声と対話しながらなんか伊勢神宮で重い。。と、最初の第一歩は「神がおわす」以前の体験で、実際のところ、伊勢ってこんな程度?というスタートを切ったのでした。

続きは、もう少し簡潔にご紹介できるようにしたいと思います。。

電気の月2日 KIN161/存在を命じる 赤い倍音の竜