雑念の入らない時間

<Emmery Annexの過去ログ>

毎朝、自宅で水垢離をしている人たちとお話をする機会がありました。
修行をしている方ではなく、偶然にも会社を経営されている方ばかりでした。
どのように自宅で実践されているか、といった一般的なことを教えていただく中で、誰かが
「冬はどうですか?」
と尋ねたところ、
「冬はやっぱり寒いから、水をかぶったら『冷たい!』としか思わない。かぶりながら、『冷たい!冷たい!』としか思ってないけれど、この『冷たい』以外に何も雑念が入らないのが良いんだ。水をかぶって、『冷たい』と思っている時に、『あのバカヤロウ』みたいな雑念が入る余地がない。そうやって雑念の入らない時間を持つことで、頭がスッキリする。一日に10分作れば、1週間で1時間強。1ヶ月で30時間、だいたい1日程度、そういった時間が持てることになる。毎日の時間はわずかでも積み重ねることが大切なんです。」
というお返事をいただいた。

感謝や懺悔をしながらかぶっているという話をその前に伺ったところだったので、冬の水が冷たい時期は、もっと別なことを念じながらかぶっておられるのかと思っていたので少し驚きました。

水垢離じゃないですが、雑念の入らない時間を持つ大切さ、というのは非常に分かります。
私にとって雑念の入らない時間は、ハーモニカのレッスンを受けている時間です。
クロマチック・ハーモニカを習っているのですが、先生とマンツーマンでレッスンをしている間は、ただひたすら自分の音作りに集中します。単純な楽器なので、舌の位置を変えるだけで音が変わります。先生について音を作ることをしているので、先生の音を聴き、自分の音を聴き、唇の形、息の吹き込み、吸い込み具合、舌の位置でその音を調整することに集中している時間に雑念が入ることはありません。
悩み事があったとしても、レッスンの間は思い出すことがありません。これまであまり意識したこと無かったのですが、レッスンが終わったら、いつも霧が晴れたように清々しい気持ちになっていることに気づきました。自宅で個人練習している時は、すぐに集中力が欠けてしまってレッスンの時のような状態を作り出すことはなかなかできないでいます。

私の勝手な解釈ではありますが、雑念の入らない時間は、瞑想をしなければ持てない、というのは全くなくて、趣味でも何でもかまわなくて、とにかく何かに集中できて雑念の入らない状態を作ることができて。終わった後に心の曇りがとれているなら、形式にこだわらなくていいじゃないか、と思った次第です。

電気の月7日 KIN166/機会を生み出す 白い惑星の世界の橋渡し