心の揺さぶり

<Emmery Annexの過去ログ>

私の友人が発行しているメルマガに「聖なる知恵の言葉―魂のためのガイドブック 」から以下の文が引用されていました。

「試練は学びのチャンスに過ぎません。学び損なったことを学びなすためのもの
です。だから、今度はもっと良い選択ができます。すると、前の選択がもたらし
た苦しみの全てが、消えるのです。」

彼女は、「なんで私がこんな目にあわなければいけないの?!」
と思うことがあっても、乗り越えてみたら自分のお願いを叶える為の出来事だったんだと思うことがある。ふって湧いた不幸は受け取っておく方が良いみたい。
と書いていて、彼女らしいなぁ、と笑ってしまったのですが、確かにその通りだと思います。

先月、自分自身が引き裂かれるような思いをした出来事は銀河の月の問いに取り組むためのものだったのか?!と昨日のエントリで書きましたけど、試練は乗り越えてみたら本来ある自分の願いを叶えるための出来事とも言えるなと思った次第。
苦しくても、「私は自分の信じているとおりに生きているか?」を突き詰めれば、そこに必ず光がさすはず。

とはいえ、精神的にあまりに苦しい日々が続いてましたので、
なんでこんなに落ち込むことが多いのだろう・・
なんで私がこんな目に遭わなければいけないのだろう・・
とため息混じりで心の中でつぶやいていたら、
「上にあがるための原動力になるから。落ちたら落ちただけ、上にあがろうとする勢いになるのよ。」
と、不意に内なる声が答えました。

なるほど、と思ったのですが、すぐに
私みたいに負けず嫌いの人は良いけど、落ちたら落ちっぱなしっていう人もいるんじゃないのかなぁ。ダイエットのリバウンドじゃないけれど、大きく振れた分、いったん上がってもまた元の所まで落ちてしまうんじゃないかなぁ。
と、悶々とお悩みモードに入ってしまったのですが、それ以上、内なる声がこの件で聞こえてくることはありませんでした。

両極端に振り切れるというところで越智啓子さんがモデルのマンガ
サイキック・ドクター神澤美香の不思議クリニック 3 (3) 」で
振り子のように極端な人生を繰り返しているうちに振り子の揺れが小さくなってほどよい真ん中の普通の生活を体験して卒業、というプログラムがあるようです、
と書かれているのを思い出しました。
両極端に振り切れるほどの体験を繰り返しながら、中庸を学んでいくのかな、と。

これを書いている間に、また別のメルマガが届きまして、そこに
「変化も不安な揺さぶりも全て自分を確信していくためのギフト」
とありました。とても素敵な言葉です。
心が揺れてもここでは悩まずに
自分がこの数年の経験を通して選択した
自分自身の新しい方向性を信じることの方が大事、なのだそうです。

月が変わったせいか、プライベートではまた別の波が押し寄せてきました。
立ち止まって悩みすぎずに、自分が信じたことを信じて、本当に大切にしたいものを大切にしながら一歩ずつ、歩みが遅くても、歩幅が小さくても、進んでいきたいと思います。
この2週間ほど、自分の目が曇ってしまった、自分を貫く軸みたいなものが外れてしまった、自分の中に自分がいない気がする、などと不安な気持ちでいっぱいだったのですが、それも自分を確信していくためのものだった、
と思えるようになってきました。

銀河の月2日 KIN41/存在を安定させる 赤い月の滝