学びのために起きること

<Emmery Annexの過去ログ>
まだ精神世界やスピリチュアルを胡散臭いと思っていた頃に、母の友だちが話してくれたことがあります。結構有名な話のようで、他の人からも内容は少々異なるけれど、大筋同じ話を何度か聞いたことがあります。
それはこんな話です。

霊能者がある日、自分の娘が18歳で交通事故に遭って半身不随になり、残りの人生は車いす生活を余儀なくされるというヴィジョンを見ました。何とかしたいと思っても、娘の運命を自分の手で変えることはできません。
どうしたものかと悩んでいたら娘が
車いすにのって生活をしている人ってずっと座っていて気楽そうだ」
と話しているのを聞きつけました。それを聞いて、母として娘と一緒に車いすで生活している人たちのことを学んだりボランティアをしたりしました。娘はいろんなことを通じて車いすで生活することの困難さなど学び、認識を改めたのです。
そして運命の18歳になったある日、娘は交通事故に遭いましたが、かすり傷程度で済みました。なぜかというと、娘がいろんな体験の中から車いすで生活をしている人たちへの認識を改めた為、実際に車いす生活をすることで学ぶ必要性がなくなったからです。

母の友だちはその時「何事にも意味があるのよ」と教えてくれました。
「転んでもただでは起きない」と言いますが、何かを学んだり気づいたりするために転ぶのです。痛みを感じるのは、そこに気づかなければならない、学ばなければならない何かがあるから。
何事にも偶然はなく、全ては必然なのです。

銀河の月23日 KIN62/呼吸を生み出す 白い惑星の風