全体性

<Emmery Annexの過去ログ>

日経EWという雑誌に掲載されていた記事で、茂木健一郎さんが「癒し」の本質とは、全体性の回復だと書かれているのを読んで、なるほどと思ったので少しご紹介。

脳でも、身体でも、普段偏った使い方をしていると、ひずみが溜まってくるので足りないところを補って、もともと生命がもっていた潜在性を満たしてやる必要があるのと茂木さんは言っておられます。

現代人は、皆、振り返る余裕もなく前のめりになって生きている。だから、たとえば、子どもの頃のことを思い出すことが癒しになる。普段使っていない脳の回路を活性化させ、自分というひとりの人間が本来持っていた全体性を回復することでより全き生をおくることができる。(中略)個人のゆがみも社会の矛盾も全体性の喪失から生まれるのではないか。

これを読んで、「全体食」という言葉を思い出して、食事にも通じるなと感じました。全体食とは、魚なら頭から尻尾まで、野菜なら皮付きのまま、根っこから葉っぱまで、米なら胚芽まで、まるごと食べるということです。
どこか忘れましたが「豚は鳴き声しか残さない」という諺を聞いたことがありますが、まさにそれです。ひとつの食材を丸ごと食べるということは、ひとつの生命体をとりいれること。

ですが、私達の今の食生活は部分食がほとんどです。
主食でいえば、お米は精米されてますし、肉も魚も切り身をお店で買うことが多いですよね。食料の流通が今みたいに良くなかった昔は身近でとれたものを無駄なく全部活用して食べるのが当たり前だったので自然と全体食をやっていたと言えるでしょうが、今はその逆です。
部分食が普通になって、ひとつの生命体をとりいれる機会が少なくなり、食事とは生命をいただくものという意識がなくなり、その結果、食事の全体性が失われ、それに伴い身体もバランスを欠くようになり、果ては個人のゆがみにまで通じるのではないのかな、と思ったのでした。

電気の月14日 KIN18/秩序を命じる 白い倍音の鏡