言葉のちから

<Emmery Annexの過去ログ>

雑誌を読んでいて目にとまった記事から。

日本は昔、「言霊の幸(さき)わう国」といって、言霊の力で幸福がもたらされる国と讃えられてきたと言います。それだけに日本語には本来、美しさと品格があって、言霊に対しても人々は畏敬の念を抱いて生活してきたのだと思います。

 

日本人は、自然の恵みを受けながら自然に感謝し、畏敬の念を抱きながら生活してきたと言われています。自然や四季の移ろいを表現する日本語は本当にたくさんあり、自然と共に生きてきたことを実感できます。それと同じように言葉と言葉の持つ力に対しても昔の人たちは自然と同じように畏敬の念を抱いてきたのでしょう。

海外にいた時に、日本語は品のある言葉だと感じたことがあります。今時の「うざい」「だるい」といった言葉しか使えない人は別として、ですが。
また、日本語に限らず言葉には「力」があると常々感じてきました。もちろん、何もかも全てを言葉に置き換えることは不可能で、「言葉にできない思い」といったものも、もちろん大切です。

「たかが言葉」と思うかもしれないですが、言葉によって傷つきもすれば、人を喜ばせ幸せにすることもできます。そして、自分の発した言葉はそのまま自分に返ってくる
それに気づいてから、極力、言葉には気をつけるようになりました。なるべくならネガティブで汚い言葉は使わないように、と。怒ったりする時は別ですけど、悪い言霊も自分に戻ってきますからね。思わず「どうせ私は・・」なんて言ってしまった後は、「大丈夫!私ならできる!」と、ポジティブに言い聞かせてみたりしています。「嘘から出た誠」ということわざではないですが、人は自分が発した言葉に忠実になってしまうので、「言ってみただけ」に注意!です。

ちなみに最近の私は、言霊の力を借りようと「・・・したい」と言う代わりに「私は・・・します。」と言うように心がけています。

 

銀河の月2日 KIN146/機会をつなぎとめる 白い電気の世界の橋渡し