ナルシス文

なにゆえ、私はモノを書きたくっているのか?

内田先生が「ひさしぶりの週末なので (内田樹の研究室)」で、モノを書く理由について、こんな風に書いておられる。

私がものを書き始めたのは「読みたい雑誌がない」ということが大きな理由であった。
しかたがないので、自分で書いたエッセイを自分に読ませていたのである。
よく、「どうしてあんなにたくさん本を書くんですか?」と訊かれるが、むろん自分で読むためである。
というのは、私の書いたものは私の気分を代弁してくれる確率がそれ以外の文章の場合よりも高いからである。
ことほどさように人は誰かに「自分の気持ちを代弁してほしい」と欲望しているのである。

これを読んでニヤリとしてしまった。

私は多いときにはネット上だけど4ヶ所でモノを書いてたけど、
書くことが好きというより、「自分で読むため」であり、「私の書いたものは私の気分を代弁してくれる確率がそれ以外の文章の場合よりも高いから」ってのが、どんぴしゃですな。

外見にはとんと自信がない私ですが、自分が書く文章は好きですねぇ。
そりゃ、もちろん出来がわりぃなぁって思うものもあるにはありますが。
基本的には自分に読ますために書いてますな。
ナルシス文ですから。

AnnexやFemi-logue!では基本的にやらないですけど、ここでは「Emmery Code」なるものが存在します。些細なことを分かる人にだけ分かるように、織り込んで書いてるやつです。その些細なことを意図した人が反応してくれると、通じたなってニヤリとするし、意図してない人からの思わぬ反応があるとそれはそれで運命の妙を感じますしね。それにトラップもたくさん置いてあるし。
だからかな、いつも私思ってるの。
私の書く文章にだまされるなよって。
確かに私という人間を垣間見ることができる場所ではあるけれど、全てを見ることができるわけではない。
どこか演出されたEmmery World、私の残像を見ているに過ぎないんだって。
そして、私は私自身の残像を振り返るのが好きなある種のナルシスト、かな。