メディアを歩く

震災以降、いろんな情報が飛び交って、何が本当で、何が嘘やデマなのか戸惑うことが増えた人が多いかもしれません。

その昔、記者会見で新聞記者を排除して、テレビカメラを残させた政治家がいたと聞いた記憶があって、それが誰だったか思い出せないのですが、新聞記事は、記者が自分の理解の範疇で記事を書くから事実がゆがめられたりする可能性があるけれど、テレビはそのまま映してくれるから良いんだ、といった理由だったかと思う。

テレビでやってたから、新聞に載ってたから、という理由でそのまま何でもかんでも信頼してしまうのは非常に危険で、メディアを読み解く力が必要だと前々から思っていた。

今回の震災は、ソーシャルメディアの力を感じずにはおれなかったけれど、その一方で、嘘も本当もあっという間に拡散していく凄さと怖さを感じもした。
ツイッターに関して言うと、私は情報収集に非常に役立ってます。
デマもいろいろ流れましたけど、この数日、自浄作用も働いてきた、とも感じています。今回のことをキッカケに情報の検証みたいなことを意識する人もそこそこ出てきたのかもしれない。デマの作られ方とか、一つの事を伝えるのに、書き方一つで見え方が変わる事例など、いっぱい目にした気がします。

多分、真実とか真偽とか正義とか、一つしかないんじゃなくて、見る角度が変われば、当然、見え方も違ってくるし、時間の経過でも移り変わって、多様にあるんだと思う。

じゃ、何を信じたら?
と迷う事って多いと思うのですが、私の場合は、「この人の言うことなら信頼できる」という人をツイッターならフォローしたりリストに入れたり、ブログをチェックしたりしてます。(中には、ちょっとグレーな人もいるか)
要するに、情報についてのセカンドオピニオン、サードオピニオンを持つ感じです。
「?」と思ったことは、できる限り情報の出所を追ってみたりもしてます。
今回の震災や原発事故のことなど、どこまで本当か分からないことは多いけど自分が信頼する筋の情報をチェックして、マスコミ報道なんかと照らし合わせて自分の中で判断するようにしてます。仕事柄、始終、メディア間を歩き回ってる感じかな。

その人が何を信じるか、というのは、良い悪い関係なく、本当にその人自身の判断だと思います。
で、一度信じても、後から知り得た事や状況の変化に基づいて、判断を柔軟に変更できるのも肝要かな、と。

それにしても、ソーシャルメディアの台頭で、これまで知り得なかった事が比較的平易に情報入手できるようになり、混乱も招いたりするけれども、未来の可能性が広がったような気もするのです。

ちなみに私はツイッターで有用なことはつぶやきません、多分。