幸福論

1ヶ月ほど前のエントリで紹介した小倉千加子中村うさぎの対談集「幸福論」を読了。(読み終わったのは、ずーっと前だけど内田センセイ風に書いてみた。)
このエントリを書いたのも、かなり前なんだけどキメ手がなくてそのまま放置されておりました。まぁ、蔵出しエントリですね。

「幸福論」というタイトルの本ではあるけれど、これをやったら幸せになります、
なんて内容はひとっつもありません。途中で小倉千加子
「この本は『幸福論』というタイトルになるのだから・・」
と言うくだりがあって、ハタと、そうだ、この本は「幸福論」なんだと読んでいる私も思い出したくらいだ。

とはいえ、一応?「幸福論」ということで、「幸せ」について二人が語っている部分が何度となく出てくる。そこでは「快感」と「幸せ」を対比させて語っていて興味深い。

快感と幸せは違う。
快感は瞬間的なもので幸せは状態である。
快感は点で幸せは線。

などなど。。

宮台真司
「うさぎさんは幸福じゃないけど、一瞬一瞬、気持いい瞬間を生きている。幸福は快感の一瞬一瞬の積み重ねだから、その一瞬一瞬をたくさんもっていればいるほど、それを全部つなぎ合わせたら幸福になるんだ」
と言われて、それは違うと思ったけど、それをうまく説明できなかった、
なんて辺り、妙に共感してしまいました。


基本的に、何となく女として生きにくさを感じている人じゃなきゃこの本はおもしろくないと思う。男の人には分からないだろうな。
私は学生時代、小倉千加子に傾倒しまくって「女の人生すごろく」や「セックス神話解体新書」あたりは諳んじられるくらい読み込んだので久しぶりにスカッと小倉節を読んだって感じで良かった。それと、中村うさぎの印象が変わった。「言葉がなくても、私は存在する 」というエントリで、伏見憲明「変態(クィア)入門」の解説から中村うさぎの言葉を引用した時、これまで抱いていた印象とは違うな、とは思っていたけれど、
この「幸福論」における中村うさぎの語りっぷりに感嘆した。
これまで中村うさぎという人のことは正直あんまり好きになれなかった。
買い物依存やらホストに貢ぎ込んだり、この人の嗜癖(アディクション)は一体何が元なんだろう・・と思いはしても、皮膚感覚が違うっていうか。
内田春菊は良くても中村うさぎは何だかな、という感じだった。
でも、この本を読んでみて、中村うさぎを舐めてた、そして、私も程度の差はあれ、中村うさぎとやってることが変わらないな、とも思った。

中村うさぎは、ホストクラブにはまっていた時を振り返って、
「書くことで俯瞰できる」
と言う。
書く以上、それはどういうことだったのか、考えざるを得ない。
(書かないと)いつまでたっても言語化されないので、自分の欲望みたいなものが、どこに向かって、獲得してきたものが結局は何だったのかみたいなことを考えなくてもすむ。だから、書く仕事をしていなかったら、ずっとホストクラブにはまりっぱなしだったかもしれない、と。
これにはとても共感した。
私がこうやってblogでいろんなことを書いているのも、思いを言語化するため。
言葉がなくても私は存在するけど、はじめにロゴスありき。

てな訳で、実は新しいblogを立ち上げてます。
こことAnnexともう1つ、計3つのblogをやるなんて正直自分でも気が違ったか、って感じではあるんですけど、ぽつぽつ書いてます。
どこにもまだお知らせしてないのでアクセスもほとんどないからお気楽にやってます。そのうちに気が向いたらお知らせしようかと思ってます。

 

幸福論

幸福論