どうしようもないはなし

タイトルの「どうしようもないはなし」は、エントリを読んでも
何のことを書いているのか分かる人がほとんどいない為につけてます。



年会費を払うばかりで何もしてないけど、母校で在籍していた専攻の学会に
所属している。学会から手紙が来たので、年会費を納めろっていう連絡か?
と思って開封してみたら、ベンベンとタミーの最終講義の案内だった。
よくよく考えたら、卒業してから13年になるのかな?
先生方も引退していきますわなぁ。
ベンベンに習った記憶はないのだけど(あったらすみません、先生。。)
タミーは、ケースワークの授業で習ったなぁ、と懐かしく思ったのだった。
お二方とも定年退職ってことは65歳になるのかなぁ。

大学時代に仲の良かった友だちでは両教授のゼミだった人がいないので、
それ以上の思い出がないのだけど、なんとなく最終講義は聴いてみたい気がした。
2月の京都は、15時過ぎたら足下から冷えてくるに違いない。それでも講義の
途中で学生時代と同じく先生の話を子守歌に気が遠くなってそうだけど。

そしてふと、私の恩師のジョージが定年退職した時の最終講義はどんなんだった
のだろう?と思った。私がアメリカにいた時だったので、駆けつけたくても
駆けつけられなかった。ジョージの授業は大学イチ楽勝とマチソーの書かれた為、
毎年4月に始まった頃は大教室なのにGWを過ぎると1講目ということもあり、
ただっ広い教室に数えるほどの学生しかいなくなる不憫な授業だった。
私はマジメだったからキチンと出席してたけどね。
で、先生から「あ、Emmeryさん、ここ座りなさい」って教壇の真ん前の机を
指されたりなんかして(ゼミ生だったからね。)
ゼミもヤル気あるんだかないんだか、よく分からないメンバーやったな。
少し上の学年は「George on my mind」なんてTシャツを作ってたくらいだから
盛り上がりのある良いゼミだったらしい。
ゼミ委員やってたけどゼミ内に向かっての活動はもう一人の委員に任せて、
私は他のゼミ委員との会議だのなんだのに出て対外的な活動を担っていたから、
自分のゼミ仲間のことは、今思えばあんまり知らなかったような。

ジョージには、アメリカの大学に編入するときに大変お世話になった。
挨拶も抜きでアメリカにとにかく渡ってしまい、編入手続きに教授の推薦状が
必要になった時「先生、推薦状をいただきたいのですが」と自宅に電話をかけたら
「今どこにいるの?」と尋ねられ「アメリカです」と答えたら
「とにかく必要書類を送ってきなさい」と迅速に対応してくださったのでした。
今もお元気でどこかの教壇に立っておられるのやろか。

長く母校には行ってないので、久方ぶりに行ってみたい気になった。
同封のキャンパスマップを眺めていたら、母校ってこんなんだったっけ?
って思ったりして、実は母校のこともよく覚えてないのかもしれない。