二分化できるか?

さて、前回に引き続きセクシャリティに関するシリーズを続けることにします。
前のエントリにも書きましたが、このシリーズでは、親切に説明するつもりはあまりないので、分かる人にしか分からない内容になるかもしれませんが、予めご容赦ください。

前回のエントリで、
性的指向(Sexual orientation)は、異性愛と同性愛に二分化できない。
性のグラデーションと呼ばれる巨大なグレーゾーンが横たわっている。
と書きました。
え、そうなの?と疑問に思われる方は、以下の質問について考えていただきたい。

倫理的な問題等はこの場で無視して、人間の脳を移植することができるようになったと仮定します。
人間の脳はそのまま移植できないので、首から上を移植することになります。
ある時、どうしても性別が一致した人の身体を見つけることができず、男性の身体を持った人に、女性の首から上を移植することになったとしましょう。
手術は無事成功し、一般生活が可能となって退院した。身体は男性であるが、その人は女性の脳の意思で行動することになります。また、彼女は新婚さんだったので、退院をして家に戻った後、夫と性行為をする訳ですが、ここで問題です。
この2人の性行為は、同性愛か異性愛のどちらでしょうか?

さて、あなたはどちらを選択されただろうか。
脳で考えれば異性愛、身体で考えれば同性愛。
実は、この質問の答えはありません。
この質問は、小倉千加子が名古屋の大学で教えていた時、実際に学生に質問したもので、その時の学生の回答は、同性愛と異性愛で半分半分だったらしい。
つまり、身体か頭か、同性愛の定義もバラバラなのです。

今、あちこちでジェンダー・バッシングが起こっていますが、これまでは、Sex(生物学的な性)とGender(社会的な性)があるとされていました。
しかし、ジュディス・バトラーが「ジェンダー・トラブル」という著書の中でジェンダー一元論、人間にはジェンダーしかないという説を展開しているらしい。
「らしい」というのは、この話を小倉千加子の講演で聴いて、本を読んでみたところ、あまりの難しさに挫折してしまったから、小倉千加子の受け売りなのです。

小倉千加子による本の解説によると、人はジェンダーを変えられないが、性別という意味でのセックスは変えることができる。半陰陽性同一性障害の人たちは、自分のこれまで持ってきたジェンダーアイデンティティにもとづいたセックスであろうとしたがる。たとえば、これまで男性と信じて育ってきた人が、染色体の結果、女性であると分かったら、100%「男性にしてください」と言う。
このように、生物的な性別は重要ではなくなっており、自然が壊れ文化が全てになっているというのだ。
今や、身体よりも頭が優勢になっているという訳である。

ここまで読んでいただいて、異性愛と同性愛、男と女、といったこれまで二極しかないと思ってきたものが単純に二分化できないのね、ということを感じていただけたら幸い。
というところで今回はおしまい。

書き始めて、果たして何回くらいでまとまっていくのか更に分からなくなってきました。。。