手紙

先日、アメリカの語学学校時代の友人から手紙が届いた。
この数年、年賀状のやりとり程度のつきあいになっていた友人。

連休で東京に行く時、ふと、彼女は元気かな?と思い出したところだった。
東京に来るときは泊めてあげるからいつでも連絡してね、
と言ってくれていたけれど、子どもが生まれているはずだから
人を泊める余裕はなかろう、でも、久しぶりに会いたいな、
なんて思っていたのだった。

誰かのことをふと思い出した直後に当人から連絡があるのは珍しいことではない。
ただ、手紙を目にした時、あまり良い予感はしなかった。
女友だちが久しぶりに手紙を書いてくるときは、たいてい悪いニュースなのだ。
離婚、とかね。
そして実に私の周りにはバツイチの女友だちが多い。
だから、「もしかして離婚????」と思ったのだった。
開封して読んでみたら、離婚の話ではなかった。
けど、予想通りの非常に重たいお話だった。

年賀状の返事も出せてないことのお詫びの後に、
生まれてきた子どもが先天性の心疾患を患っていたことを皮切りに
彼女のいろんな思いで手紙の文面が埋め尽くされていた。
こんな時に私のことを思い出して手紙をくれたことを嬉しく思いながらも、
手紙を読みながら、なんと返してよいものだか、と思った。
ただ、救いだったのは、文面から見て取るに彼女が自分を責めてないことと
子どものことを可哀想などと思わず、日々、生き延びてくれてありがとう、
という思いでいる、と書いてあったこと。

芳晶せいじのblogをRSSリーダーに登録して読んでいるのだけど、
彼女から手紙が届いた日だったか翌日だったか「生きた証。
というエントリがあがった。
彼の飼っているピグミーマーモセットが双子の赤ちゃんを産んだけど
1匹が体力が弱って死んでしまったのだ。
亡くなってしまった赤ん坊に「オンブ」という名前をつけ、最後に


バイバイは言いたくないから、
こう言うわ。

こんにちはオンブ。
生まれてきてくれてありがとう。



と締めくくってあった。
彼女の手紙の文面とシンクロしていて、二重に切なかった。
無理に励ますようなことは書く気にもならないので、
手紙をくれたことへのお礼がてら静かにお返事を書いて投函した。
病室で子どもの看護でつきっきりの彼女の気晴らしになれば、と。

その後、芳晶せいじの飼ってるピグミーマーモセットの生き残ったもう1匹も
親から育児放棄されてしまい(強い子孫を残すための本能らしい)
人工保育をすることになった。
毎日育児日記が更新され、彼の愛情溢れるテキストに毎回胸がほんのりと
熱くなった。
この数日、人工保育しているもう1匹の具合も良くないみたいだから心配で
毎日帰宅するなりblogをチェックしていたのだけど、今日帰宅して
いってらっしゃい。」というタイトルを目にした時、
あぁ、アカンかってんな、と思った。最後の


いってらっしゃい。
ハグ。


には、やっぱり泣かされた。

そして今、私ができることは友人の子どもの手術が成功すること、
ゆっくりでも良いから日々生き延びて成長していくこと、
母親である友人が身体を壊さずに彼女自身が身心ともに健やかであることを
遠くから祈ること。
そんな思いを手紙に託して。