やっと一息

長い一日が終わりました。

結局、昨夜(日付が変わっていたから今日か)は携帯からblogを更新した後、2時過ぎに倒れました。(呑みつぶれたってことです)
何をどれだけ呑んだかって、書き出すだけアホらしいくらい呑みました。
目覚めた時は大丈夫だったけど、途中から頭痛がしてきて、この頭痛が疲れからきたものなんだか二日酔いなんだか、よく分かりませんでした。
当分、お酒はよろしいですわ(苦笑)

遺族の喪服は着物じゃないといけないので、着替えに帰ったのですが、着付けを手伝ってくれる人を頼んでいなくて大変でした。
バタバタするから頼んだ方が良いのでは?と思っていたのだけど、母にモノ申すことがはできないので従ったのだけど、こういう時は強く進言しておけば良かったと後悔しました。母は朝まで呑んでたから酩酊状態で、使いものにならんかったんですね。
私もお正月以降着物を着てなくて、しかも喪服なんて普段着るわけないから襦袢を見た瞬間、こりゃ大変だ。。と思ったのです。帯結びも久しぶりで予行演習なしで時間もなくて焦ってしまって、どうやるんだったっけ?!
と、何度もやり直しているうちに着物が崩れるし。。で、更に焦る、と泥沼化の様相を示しておりました。焦っていたので、自分がどんな帯をどのように結ばないといけないのか分かってなかったんですね。
途中でやっと、名古屋帯だから一重太鼓、という基本の基本を思い出して、半分自己流でなんとか乗り切りました。妹が全然着物が分からない人なので手伝いながら
「身内が亡くなった時は着付けをしてくれる人を頼む」
は必須やなぁ、と思っておった次第。
一日中着物だったので「苦しくない?」とか「大変でしょう?」と言われましたが、自分で着付けると、ポイントだけグッと締める以外は緩くしているので、結構、楽なんですよ。

お葬式は、なんていうんですかね、いろいろと決まり事があって、式場の人に説明をしてもらいながらオートメーションだな、とか思っちゃったりして。母の父のお葬式で、しかも「女性」の為、私は微妙な立場で、遙洋子みたいにお葬式の席で闘うようなことはする気も起こらなかったけど、なんだかなぁ、と思うことはありました。
でも、本当に多くの方がお別れに来て下さって良かったです。

祖父と最後のお別れをして、火葬場まで行くバスの中で、5年前の祖母のお葬式のことを思い出してました。あの時、私はずっと祖父の側についてたのです。
祖父が祖母のことを心から愛してたということをあの時、身を持って知ったので、この5年一人で本当に頑張った、と言ったら変だけど、やっぱり祖母がいない生活には耐えられなかったんだろうなぁ、今頃、祖母は祖父を迎えに出て来てるのかしら、なんて思ってました。私の花嫁姿を見るのをとても楽しみにしていたのに見せてあげられなかった、とか、いろいろありますけど、それでもやっぱり、あの世でまた祖母と再会して喜んでるだろう、と思う方が強いかな。
淋しいけれど、ホッとしてる感じ。
記憶力と数字に関する頭のキレ具合は最後まで衰えることなく、お酒も食事も楽しんで、誰の手を煩わすことなくぽっくり亡くなって、とっても気遣いの人だった祖父らしい最期でした。

それにしても祖父のお酒に関する武勇伝は私の比じゃないんですけど、祖父を頂点に皆さん酒豪揃いです。
ほんっとにあきれ果てるくらいよくお呑みになられて。。
昨晩あれだけ呑んでたにも関わらず、今日も昼から昨晩と変わらぬペースでお呑みあそばすお方々を見ながら、私の酒量なんて微々たるもんだ、やっぱり親戚の間では呑めないことにしておこう。。と思った次第。
皆の呑みっぷりはお酒好きの祖父の供養になりましたかね。。

お骨あげの後、初七日まで済ませて長い長い一日は終わりました。
「お疲れのでませんよう」
と親戚の皆さんがお互いに声をかけあっていましたが、本当にそうですね。
叔父家族に私の両親は、不眠不休に近い状態でこの4日間過ごしてきて、どっと疲れが出なければ良いのだけど、と思います。
祖父が亡くなったことを実感するのもこれからですね。