不安じゃなくて寂しさ

読んで身につまされたAERAの記事

際限なき時代に巣食う「心の過労」

宮地先生は、「不安」じゃなくて「寂しさ」と表現されたらしい。
いま労働者が直面する日常の救いようのなさは、寂しいという感情になってまとわりつく。
と。記事を読んでいたら、身につまされることばかりだった。

「これまで安心や安全やクオリティーのために、暗黙の了解で守られてきた一線が破られていく感じがします」なんて、リアルに体験してる。
「労働量の際限のなさ」も。

私が今の会社に入ったほんの5年ちょっと前くらいは、まだどこかのどかだった。
その当時も大変大変、とは思っていたけど、会社は私のことをゆっくりと育ててくれる余裕もあった。今は、本当にそんな余裕なく、少しの研修を経たらすぐ、フルスロットルで働けないと、みたいな感じ。もちろん、私の会社は大学出たばかりの人が入ってくることがないから、一般的な常識は前職で身についている、というのが前提条件ではあるけれど。

入社した時から、担当するお客様が決まっていて、至れり尽くせりでお客様の仕事をするのが私の仕事ではあったけど、現在はそのお客様の仕事だけでは皆の仕事をまかなっていけないので、他にもいろんな仕事を受けてやってる。売り上げは抜群に伸ばしたけれど、その裏で、これまでのようにお客様に対応している余裕がなくなって、私、本当はこのお客様のアカウント・マネジャーなのに、、なんて思ったりすることもある。
それは、まさに「寂しさ」。

一つのお客様を大切に大切に仕事してきた私にとって、今のような働き方をするのは、最初はとても辛かったけど、今はある程度、割り切って仕事できるようになった。それでも、たまに虚しくなったりする。

それでもそれでも、私がなんとかやってこれたのは、チームの助けもあるけど、今、一番お世話になっている会社のマネジャ(私のマネジャとは格違い)から
「過剰品質が良いとは限らない。お客様の求めている品質に従う仕事をただこなすお金のための仕事も大切です。ただ、赤になってもいいから、大切にしたい仕事もありますよ。自分の心のためにね。」
といった話を聞いたことが支えになってる。
その会社の仕事のやり方に反発を覚えていたのだけど、彼女の話を聞いて、彼女自身も割り切ってやってるのだと分かって納得した。
そして、右から左へと、ヒュン!ヒュン!って仕事が飛んでいくのをひたすらコーディネートする日々なのです。疲れ果てたりすると、昨日みたいに、スキを見て休んだり。

記事の最後の一文も心にしみました。

忙しさから逃れてたどりつきたい境地は、丁寧に、心を込めて、ただ仕事を味わうことだ。

ほんと、丁寧に、心を込めて、ただ仕事を味わいたい、
そんなことを思いながら、日々流されております。