あおい

江國香織の「冷静と情熱のあいだ」を読んだ。
なんとも救いがないストーリーだ、と思った。
主人公のあおいの言動が、どことなく自分に似ていて痛かったのだ。

彼女は恋人に対して自分の過去や彼女自身について語らない。
バスタブと本は、彼女のシェルだ。
何かあると、彼女は押し黙ってシェルに入ってしまう。

「アオイはいつもそうなんだ。なんでも一人で決めてしまう。僕はきみの人生に、
まるで影響しないんだ」
「また黙る。きみとはけんかもできないのか」

と、アメリカ人の恋人に言われるシーンがあるのだが、私もかつて、
まったく同じセリフを自分に投げかけられたのを思い出した。

「もしあなたがそれを望むなら。どこにだっていきましょう、
一緒ならどこだっていい。」
そう言いたかったのに、彼女の口をついてでた言葉は
「ごめんなさい。」 それだけだった。
本の中の主人公同様、自分の心の中にある言葉が唇の外側にでていかなかった。

普段は饒舌そうに見えて、何かあると押し黙ってしまう癖がある。
どうして相談してくれなかったの?
どうして話してくれなかったの?
なんて家族や友だちから言われたことは数え切れない。
理由は分からないけど、言葉が出ないのだ。
心の中に言いたい言葉は満ちあふれているけれど、その人を前にすると、
唇の外側に言葉がでていかない。
痛みは自分一人で抱えていたらいい、と、思ってしまってるのかも。

同じように理由はよく分からないけど、メールも時々、返事が書けなくなる。
「あのね、本当はね。。」
言いたいことが心の中で満ちあふれるのに、キーボードや携帯のキーが
押せなくなる。文字の交換じゃまどろっこしい。
今すぐ、話をしたい。とにかく今、すぐ。
そう思うけれど、今、電話をかけても大丈夫なのか分からなくてかけられない。
仮にかけることができたとして、本当に話ができるのかしら。。
「ううん、何でもない。声、聞きたかっただけ。」で終わりそうな気がする。

そう、心を開いていないのは、相手じゃなくって私の方だったんだ。。
短い、何気ないメッセージ。多分、他の人が読んだら「これがどうしたの?」
と言うに違いない。だけど私には分かったんだ。
相手の気持ちが痛いほど伝わってきた瞬間、膝がガクガクと震えた。
強い言葉(思い?)が突き上げてくる。
でも、それをそのまま返事して良いのかどうか惑い、心の中で何度も何度も
反芻しながら、私は押し黙ってしまう。
多分、反芻した挙げ句の返事は、本当に言いたかったことじゃないことを
書いてしまうんだと思う。
そんな自分が、つらいんだけど、愚かだ。