多様

同性愛といえば、恋愛対象が男性同士、女性同士のことだと思いがちですが、
身体を軸とするのか頭を軸とするのかバラバラだ、と前のエントリに書きました。
首から上が女性で首から下が男性の移植手術は倫理的にあり得ないこと
とはいえ、現実問題としてそういう状況の人たちはいます。

いわゆる「トランス」と呼ばれる人たちです。
トランスジェンダー(TG)、トランスセクシュアル(TS)、はたまた
性同一性障害と言われたりする人たちのことです。
彼/彼女たちは、見た目と生殖器の性別と本人の性自認性的指向
それぞれ多様。知れば知るほど、仕分けしようとするだけ無理だな、と
思います。

私の友だちにTGがいます。身体は女性でOKだけど、女性であるということに
違和感があるらしい。話をしていると一人称は「私」と「僕」で揺れる。
スカートははかないし、お化粧もしないけれど、見た目は女性。
男性っぽい恰好をしようといった風情は一切なし。
彼女のパートナーはTSで手術済みのMTF。つまり、元男性。
身体は女性だけど心は女性であることに違和感を持つ人と
元は男性だけど心も身体も男性であることに違和感があり、
性転換手術を受けて女性になった人。社会的には男女入れ替わっている。
身体的に見たら二人とも女性(片方は人為的に『女性』だけど)
心の面から見たら、片方は女性で片方は男性。
さて、彼女たちは異性愛?同性愛?
答えを出そうとするのは無意味なことです。

アメリカで学生をしている時、サンフランシスコのジャパンセンターの
紀伊國屋で伏見 憲明さんの「変態(クィア)入門 」を立ち読み(!)をした時、
性の多様性にクラクラした。(当時は「クイア・パラダイス」というタイトルで
出版されていたと記憶している。)
FTMバイセクシュアル、トランスジェンダー、女装家、インターセックス
レズビアンマザーなどなど、これでもか!というほどいろんな人たちが
登場します。MTFレズビアンなんて、元は男性だから、どうして男性として
女性が好きじゃダメなの?なんてね。

大学は女子大だったけれど、元々セクシャル・マイノリティの多い地域の
女子大だったので、セクシャル・マイノリティが多数いて、レズビアンでも
いろんな人がいるんだなぁ、と、彼女たちを通じていろいろと知りました。
日本語で何て言うのか知らなかったので、この本を読んで、そうか、そういう
世界は日本にもあったのかぁ、なんて感心したりして。
ジェンダーはもとより、性別でさえ、インターセックス半陰陽)の存在が
あるから男女に二分できないのです。

本日は、前々回に引き続き、同性愛や異性愛、男と女って二極に分かれている
ものじゃなくて、ぐちゃぐちゃに入り乱れているというか、中央で混沌と
しているものなのね、ということを感じていただけたら幸い。