シャンソンとエセ三都物語

前のエントリからの続きです。

1部のプレリハが終わったら、急いで京都へ。
京都のシャンソニエで、母が先生と一緒にライブに出演するのを観に行くのと、5月のライブで私がゲスト出演することになったので、その打ち合わせも兼ねて。

1部のプレリハの後は、毎年ハラホレヒレハレ状態になってしまうのですが、今年も抜け殻状態になって、お昼ご飯をちゃんと食べたけど、すっかり消耗してしまって、「は、腹が減っては戦ができん。。」
すっかり疲れ果てていたけど、妙なテンションで、京都まで座ることができず、時折、膝をカックシ言わせながら、立ち寝してました。

シャンソニエでは食事できないし、ライブの後にご飯を食べる時間がないことも分かっていたので、食事の時間を見繕っての移動だったのですが、ほんの少し時間に余裕が出ました。疲れていたから、どこかでボーッとしてたいのはヤマヤマだったけど、ふと、
「そうだ、母校に行こう」(「そうだ、京都に行こう」のパロディ、か)と思い立ち、今出川へ。

今年の春コンの練習開始からずっと、思い悩んでいることがあって、母校に行ったところで解決することではないけれど、ただ、たまらなく、母校に触れたい、という思いに駆られてね。

それにしても、京都の地下鉄の駅にお店がいっぱいできててビックリしました。
四条のドーナツ屋さんにもビックリしたけど、今出川にも改札口の出た場所におむすびやさんができてるし。。地上に上がったら上がったで、中学校が工事中なのかな? 工事している風景にまた驚き、でした。

とりあえず、空腹過ぎてどうしようもなかったので、Coco壱番屋で食事し(後悔することになるんだけど)ちょっと元気回復したところで、校内へ。
こんなところに自転車置き場があったっけ?と、また驚きながらも、それでも大本は変わらない母校。
ずずっと歩いて、明徳館前で現役時代のランダムステージを思い出してました。
このM前で、More Than A Dreamを吹いてやろうと思って行ったのですが、ここで少し吹いてみて、先にカレーを食べたことを後悔したのでした。
仕方ないから、代わりにイントロから最後まで歌ってやりました。
歌いながら、この4年間の思いが次々と駆けめぐって止まりませんでした。
そして最後に「もう一度。そう、もう一度、同志社ハモソがM前のステージで演奏する日が来ますように」と。
実際には何も解決してないけど、やるだけやって、なんとなく気が済んだような気がする。

そして、シャンソニエ、巴里野郎まで汗だくになって向かったのでありました。
お客さんの大半は、これまでどこかでお見受けしたことがある人ばかりでしたが、まずまずの入り具合で安心しました。今回は次のライブの打ち合わせ、という名目もあったけど、基本は「客が少ないからサクラで来てね」だったので。

知り合いが来ていて、
「お母さん、ステージ慣れしてきはったねぇ。今は私も安心して聴いてられるわ」
と言っておられました。
相変わらず、シャンソンはよく分からない私ですが、確かにそうかも。
聞きながらミスの勘定とかしなくなったし。
と言っても、他の出演者は、バリッバリのプロなので、その人たちと比較すると
・・・って比較したらダメですね。

3ステージのライブが終わってから、ちょこっと打ち合わせ。
条先生から「僕が歌う時にオブリガードで入ってくれたらいいから」と
「あの曲は?この曲は?」と言われても知らない曲ばっかりで
「・・どないしよう。。」って途方に暮れそうになりました。
先生がライブで歌っておられる中で、できそうな曲を提示して、
キーを教えてもらったのだけど、私、大丈夫なの???
次のライブのピアノ伴奏は、ジャズもやっておられる人で条先生も母も大絶賛の人だから、その人が伴奏だからこそ、私をゲストで呼んでくれはったんですけど、うむ。。
とりあえず、書きアドリブを準備しよう、としか。。

それにしても、4年ほど前に私がライブの後の余興で演奏させられた時の演奏しか知らないのに、ゲストで呼んでいただけるとは、条先生はチャレンジャーすぎます。私が今もクロマチック・ハーモニカを吹いてるのは条先生の後押しがあった、という経緯があるので、そのご恩に報いたいと言うと大げさだけど、頑張って挑戦してみます。

京都から自宅に戻ってきたら午前様。
長い長い一日でした。

最後になんで「エセ三都物語」か、というと、大阪、京都、神戸で三都物語だけど、西宮って神戸じゃないやーん!って気づいたので、「エセ」とつけてみました。