最期までスプリンター

同僚が一人、亡くなった。
4週間前に会社で倒れて救急車で運ばれて行ってから、良くなるようにと祈った皆の祈りは届かなかった。

あの朝、私はいつも通り一番最初に出社していた。
彼女も出社が早く、他に来てる人はほとんどいなかった。

自分宛のファックスを取りに行ったら他にもあったので、
「おはようございます!」
と、挨拶して、
「来はったばっかりのところで申し訳ないけど、ファックスが届いてます。これは担当者に直接渡した方が良いですか?」
と尋ねたら、いつも通り快活に
「おはようございます!私から渡すから預かります〜」
って言ったので
「じゃ、お願いします。」
と、ファックスを渡した。別になんてことない日常業務だった。
その時点では、彼女に異変は感じられなかった。
でも、これが彼女と交わした最後だった。
元気だった彼女の姿を見た最後の人間になってしまうなんて、この時は想像もしなかった。

会社にかってくる電話は、1コール鳴り終わるまでに彼女が出るのに、その日は電話が2コール以上鳴るので別の人が出ていた。
「あれ?いないのかしら?」
と彼女のデスクを見たら姿が見えないんで来客中かと思っていた。それにしては来客が見えないから、今度は銀行にでも行ってるのかと、ホワイトボードを見てみたけど何も書いてないし、電話に出た人が
「今日は休み」
なんて言ってるのが聞こえてきて、なんかおかしいな、と思ってた。
まさか、彼女が倒れていたなんて、思いもよらなかった。

私はその日、海外から届いた大きなファイルの内容確認と検証作業に追われていた。いつもなら、ちょっとブレイクを入れる時間帯もずっとデスクの前でPCの画面を睨んでいた。
この検証作業が終わるまでは席を立つまい、と。
自分を責めても仕方ないけど、いつも通りにブレイクを入れていたら、
と、どれだけ後悔したことか。

突然、私の視界の中で、しゃちょーと私の上司がバタバタとしはじめ、
なんか外であったんかいなぁ?
と、別な意味で不審な思いと何やら嫌な予感を抱いていた。
野次馬になるつもりもなかったので、そのまま作業を進めて、やっと検証作業が一段落つき、ちょっと一息。。と、部屋を出た瞬間、私は全てを把握した。

とはいえ、私はなすすべがなく、静かに救急車が到着し、上司たちが一緒に行ってしまった。
上司が救急車の中から電話してきて、彼女がいつ頃出社してきたか、いつ見たのが最後だったかと、尋ねてきた。
多分、9時半から9時40分の間であろうと伝え、彼女のデスクの周辺の人たちに最後に彼女の姿を見たのはいつか確認したところ、皆が口をそろえて
「今日は休みだと思ってた。」
と言った。

発見した人は、朝からずっと使用中の個室があるのでおかしいな、と思ってノックをしてみたところ、中からうめき声が聞こえてきたので、これは大変!と他の人に声をかけて、ドアを乗り越えて助け出したのだった。
「もっと早くに気付けば良かった。申し訳なかった。」
と、発見者が言った。
誰もが、もっと早くに気付いていたら。。と思っていた。

その日の夕方、1ヶ月くらい入院して、その後リハビリが必要だけど、とりあえず命に別状はない、意識もある、という連絡があって安堵したのだった。
脳梗塞の部分が小さいので、まぁ、大丈夫だろう、と。
明けて月曜、容態が急変したと聞いた時、ちょっとヤバイなと思った。
緊急手術で小康を保ち意識もはっきりあるとはあったけど、麻痺なり障害が残るだろう、最悪の場合、職場復帰は元より、命も危ない、と。
もちろん、回復を祈ってはいたけど、私の経験と知り得た知識で話を聞いていたら、楽観視はとてもできなかった。

頭痛などの不調を無視して休まず過酷に働く生活を続けていたりすると、いきなり倒れて次に気付いたら病院のベッドの上だった、
というのは、学生時代にインターンをした施設でいっぱい聞いた。
彼女は自分の身体の不調を無視して働きまくってる、なんてことは傍目から見ていてなかったし、最近体調不良で休んだり、というのもなかったから、なぜ?と思っていたら既往症があったらしい。

回復の見込みは2〜3週間の容態次第、ということで、良くなりますように、と祈りながらも2〜3週間が過ぎ、新たな連絡がないのでちょっと心配していた。
便りがないのは良い知らせだと思うようにしていた。

そこに今回の訃報。
彼女が倒れてからちょうど4週間。
「命に別状はないから安心して」
と聞かされた同じ時間帯に今度は悲しい報告をうけた。
金曜日の夕方、就業時間を過ぎていたから、すでに帰ってしまった人が何名かいたので、シンとしていた部屋が更に静まりかえった。
誰も、何も、言えないまま、しばらく沈黙が続いた後、皆が何かを振り切るかのように作業に戻っていった。
そして私は、そういえば、昨晩は満月だったな、と、思った。


若い頃はスプリンターとして活躍したと聞いていた。
お子さんもスプリンターで、試合のたびに応援しに行っておられた。
最期もスプリンターらしく疾走しちゃったんやね。。。
人はこの世に生を受けたら、もれなくあの世に帰ることになっているけど、早い、早すぎやで。