父に呼ばれて北新地、母に呼ばれて梅新

頭の中がおたまじゃくしでいっぱいになって、言葉がでなくなっていたので、久しぶりのエントリ。

水曜日の夜、会社で仕事をしておりますと、父から電話が。
出てみると、半分できあがった様子で、
「今どこ?」
と言うので、
「まだ会社で仕事してる。」
とお返事。
父が友人と呑んでいるそうで、これからジャズバーに行くからハーモニカを持ってきて来ないか?とのこと。
その日は西梅田で歓送迎会だったので、途中で抜けたらいいかと、了承。
タクシー代は出してくれるというので、西梅田から自宅までタクシーを飛ばして、マンションの前で待っててもらって、北新地へ。
あまりの早さに都会に住んでいることを実感したのでした。

父と一緒にジャズバーに行くのは徳永教室に入る前でしたから2年ぶりかな。
父抜きで勝手に2回くらい行きましたけど、それでもジャズバーに行くのは、ほぼ1年ぶり。
店に着くと、休憩中でたまたま店の外にオーナーさんがいて、私が来るのを知らされていたようで、私の顔を見て「ご苦労さん」だって。

父の友人とは以前、私が父なしでジャズバーに行った時、遭遇してしまったことがありまして、前からぜひセッションしたいと言われておったのです。
Georgia On My Mind」が十八番で、キーはE♭
この曲は発表会で演奏したことあるけど、私が練習していたキーはF
できない、無理って言ったけど、「無理は分かってるから」と。
こちらも腹くくって行きました。
伴奏を聞けば、E♭に移調してフレーズを吹く自信はあったので、なんとかかんとかやってみました。
本当は、歌のバックで絡んだりとかできたら良かったのでしょうが、なかなかそこまではいかず、でも、なーんとなくそれなりに何か吹いてみたり、コード進行セミナーで勉強したことがさっそく活かせた気がします。

その日は結局、演奏タイム3回分で、4曲演奏させてもらいました。
それにしてもジャズバーは久しぶりで、しかも行ったところで即、
呼ばれちゃって心の準備ができてないまま「My Funny Valentine」を吹いたら、本気でメロディーが頭の中から消えてしまい、周りの人が歌ってくれたけど取り戻せなくてもう一回最初からやり直してもらったり、ピアノのアドリブの後テーマに入れなかったり、冷や汗かきまくりでした。
現在練習中の「いつか王子様が」も果敢に挑戦し、アドリブ部分は覚え切れてないから、てきとーに、てきとーに。これもコード進行セミナーの賜物でしょうか。
「Stardust」のキーをAでお願いすると、
「そんなキーはあんまり使わないよ。バンド泣かせやなぁ」
と言われて、
「え、そうなんですか?!」
とビックリ。 そうか、そういうのって、やっぱりあるんや。

父の友人には、「一緒にセッションできて幸せや」と大変感謝され、褒め殺しされてしまいました。
家族は褒めてくれないから、新鮮でありました。
我が家は皆、クールというか、厳しいというか「やってるよね~」
ってな具合で終わりだから。父にしてもそうです。
でも、父の友人の彼女さんが
「お父さん、あなたが演奏しているのを幸せそうな顔で聴いてたよ。」
と言ってくれたのがうれしかった。
少し父と父の友人に孝行できましたでしょうか。。
その日、帰宅したのは2時頃だったのですが、
「あかん、私、全然歌えてなかった。」
と、くやしくなってフランク・シナトラナット・キング・コールを聴き直して、翌日、会社では睡眠不足で死んでたのでした。

土曜日は梅新にある老舗シャンソニエに母が出演するコンサートを見に行ってきました。
自発的に行くわけがなく、キャンセルのお客さんが出たから来てくれと、前夜に母から頼まれたので行ったのでした。
私の発表会やコンサートに家族が来ないのと同じように、母のコンサートに父も娘たちも基本、行きません。まず、呼ばないし、そういう家族です。とはいえ、都合、何度もシャンソンは聴きに行ってますが、母が歌うシャンソンってよく分からないです。
あ、音程がちょっと外れた、とか気になるし。
母は最近、1ヶ月に1回、どこかで歌う機会があって、ちょこちょこステージに出てるせいか、以前と芸風?が変わってた。
表現力が広くなったんだろうな。(生意気な娘だ。)
母の先生の歌はよかったなぁ。やっぱり、プロとアマチュアの差ってやつか。

コンサートの帰り、シャンソニエとジャズバーは目と鼻の先だなぁ、と思いながら歩いてたら、図らずも、私が「クロマチック・ハーモニカ」をもう一度頑張ってみようと、徳永教室に足を運ぶキッカケになった人たちに連続でお会いしたということに気付きました。

以前、母達のコンサートの余興で演奏させられた時、シャンソンの先生から
「今度、コラボしましょうね。」
と言っていただいたり、ジャズバーのオーナーさんから
「アドリブできないくても、テーマを吹くだけで全然かまわないからいつでもおいで。」
と言っていただいて、似たような時期に連続してプロとして活躍されている人たちに褒めていただいて、私の演奏も捨てたものじゃないのかも、と思ったがキッカケでしたから。